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Abendの憂我な部屋

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2012年 11月 30日

侮り難き演奏


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 アンチェル/チェコPOのチャイコフスキー/序曲『1812年』。
 合唱入り、大砲音ミックス、鐘乱打などの趣向で楽しませてくれる多くの演奏の中にあって、おそらくは最も地味な演奏なのだが、アンチェルの折り目正しい指揮とチェコPOの見事なアンサンブルは、この曲の標題性を無化してしまうほどの、一幅の墨絵の如き味わいがある。1965年の録音。

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 レッパード/BBCノーザンSOのドビュッシー/管弦楽のための「映像」。
 この演奏に、ドビュッシーの音の綾織はない。淡々と、スコアが演奏される。モンテヴェルディの校訂者にしてヘンデルの研究家であるレッパードが、イギリスのマイナー・オケを使ってドビュッシーをやる時、それはそれで感動的な「解体新書」となる。まだ聴いたことがないのだが、彼とこのオケにはマーラーの『大地の歌』もあって、そちらにも興味が湧く。1976年のライヴ録音。

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 スイトナー/SKDのストラヴィンスキー/『春の祭典』。
 録音が1962年だから、LGOとのハイドン/『軍隊』と同時期になる。1970年代に録音されたモーツァルトの交響曲などでスイトナーのイメージを形成した愛好者がこのハルサイを聴くと、荒ぶる彼を新鮮に感じることだろう。しかし、コンヴィチュニーが亡くなってから日も浅い時期に録音されたであろう『軍隊』には、荒ぶるスイトナーを随所に聴くことができる。発売時にカップリングされていたモーツァルトの25番の方は、この点でどうなのだろうか。

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 トスカニーニ/NBC SOのL.モーツァルト(CDの記載に従う)/おもちゃの交響曲。
 通俗名曲に対しても真っ向勝負のトスカニーニにとって、おもちゃはパートのひとつだ。可愛らしく演奏させたりはしない。その音は、幼児が聴いたら怖いと感じるかも知れない。ザッハリッヒに押しまくるおもちゃの交響曲には、独自の味わいがあっていい。1941年の録音。

 初めて聴いた演奏が、当該する楽曲のイメージを形成するのならば、これら4枚は「最初に聴いてはならない」ものといえるだろう。


 

by Abend5522 | 2012-11-30 01:46 | クラシック音楽
2012年 11月 25日

YANAHA A-5


 BBGオーディオは千本一条西入ルにも店がある。十条新千本の店に比べると置いてあるものは少ないが、以前ここでONKYOのMDデッキMD-105FXを中古で買い、今も順調に作動している。中古レコードはけっこう置いてあるが、中古CDもぼちぼち置くようになった。
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 YAMAHAのプリメインアンプA-5。1979年に発売された、当時でも45000円だった普及機である。完動品で、メンテナンスがされているのだろう、33年前の機材にしては綺麗な状態だ。手軽なオーディオ・アンプが欲しかったので、6.000円で購入した。
 出力は40w+40wと小さく、SPを使うのならブックシェルフ型となるのだろうが、ヘッドホンは極く小さな出力で充分駆動するので、これでも充分過ぎるほどである。非常にすっきりした作りだが、MCヘッドアンプが内蔵され、サブソニック・フィルター、ラウドネス、モノ/ステ切り替えも装備している。端子類はオーソドックスで、TV端子というものもあるのだが、これはAUX端子と同じものだ。
 ラック内の機材を入れ替えて収納し、コンヴィチュニーの『グレイト』第一楽章を聴いてみた。機材を替えた時には、何時も最初にこれを聴くのだが、鳴りがいい。解像度もかなり高く、すっきりした高域が心地よい。SPで聴けば、かなり薄味に感じられるかも知れないが、音場も広く、聴き疲れしない音である。
 CDプレーヤーをAUX、CDレコーダーをTAPE1のout put、MDデッキをTV端子に接続した。これで、使っていたAVアンプDSP-AX757はBDレコーダ兼STBに光デジタル接続し、映像を観る時のアンプに特化出来るようになった。
 
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 ラックに空きがなくなったので、MarantzのCD-34とSTAXを出し、暫定的に佛さんの横に置いた。年内中には何とかしたいと思っている。
 オーディオ・アンプを買ったのは、20数年前のONKYOのIntegra A-815RXⅡ以来である。

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 中古CDも2枚買った。
 ケンペ/BPOのブラ1は、初めてこの曲のレコードを買った演奏だ。ミュンヘンPOとのものはオークションでもよく見かけるが、これはたまに全集が出品されているぐらいで、思わぬ収獲だった。
 ランパルのソロによるドイツ・バロック・フルート協奏曲集は、バッハと同時代のモルターの作品と、ヨハン・シュターミツとその2人の息子であるカールとアントンの作品が収録されている。モルターはパイヤールとその室内Oがバックだが、シュターミツの3曲はレッパード/スコティッシュ室内Oがやっているのが魅力的である。

by Abend5522 | 2012-11-25 02:18 | オーディオ・映像・機材
2012年 11月 25日

カルメル会修道院


 金閣寺の傍にあるカルメル会修道院へ行った。
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 見落としてしまいそうなプレートのある入口から坂を少し上がる。車はそのまま進むのだが、歩行者には近道の石段がある。これを上りきったところに門があって、古びた表札が掛かっている。
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 和風の修道院。壁のマリア像と屋根のクルスがなかったら、ここが修道院とはわからないだろう。
 あいにく、これからミサとて中には入れなかったが、玄関前の紅葉が綺麗だったので撮っておいた。

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 カトリック信徒の作曲家として有名な高田三郎の『やまとのささげうた』。調べてみると、ラテン語で歌われていた典礼歌を国語で行うことがヴァチカン公会議で決められ、それを承けた日本カトリック司教団の依頼によって作曲されたという。高田は、佛教和讃などをモティーフとして作ったらしいが、これを今日行ったカルメル会の修道女たちがレコーディングしたものが画像のCDだ。近々にも入手しようと思っている。

by Abend5522 | 2012-11-25 00:00 | 京都
2012年 11月 23日

伊福部昭のギター曲


 東映チャンネルで新藤兼人が監督をした『暴力』という映画を観ていたところ、聴き覚えのある音楽が鳴っていたので調べて見ると伊福部昭だった。どんな映画であっても、伊福部昭の音楽にはすぐ反応してしまう。

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 伊福部昭のギター作品は難しい。ナルバエスの『牡牛を見張れ』がどうにか弾ける程度の私には、とても太刀打ちできないにも拘らず、この2曲の楽譜だけは持っている。
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 3000円したが、数年前にこのCDを買った。2曲とも入っている。奏者は違うが、YouTubeにどちらもあった。
 

 『踏歌』の方が好きだ。徐々に熱くなって行く舞踏が、一本のギターでこれだけ表現出来るのは凄い。楽譜を見たら降参してしまうが。

 

by Abend5522 | 2012-11-23 00:52 | クラシック音楽
2012年 11月 22日

『影を慕ひて』


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 このギター独奏譜は、特に難しいものではないのでよく弾いた。
 『影を慕ひて』を最初にレコーディングした歌手は佐藤千夜子で、古賀政男が創設に携わった明治大学マンドリン倶楽部の伴奏で録音された。B面曲で、ほとんど売れなかったという(A面は『日本橋から』)。高校時代に読んだ古賀政男の評伝に、彼がこの曲を作詞、作曲した昭和4年当時はジャズが流行っていて、このような暗い詞と曲が受け入れられなかったとあったのを憶えている。
 YouTubeにあったが、共有できないので以下にURLを。
 http://www.youtube.com/watch?v=WPnttPCVgw0

 
 東京音楽学校に在学中だった藤山一郎の再録音によって、『影を慕ひて』はヒット曲となった。古賀政男自身がギター伴奏をしている。

 多くの歌手によってカヴァーされ、藤山一郎もその後何度もレコーディングしている『影を慕ひて』だが、それらにはコブシが加えられている。上に挙げた佐藤千夜子、藤山一郎の録音は、どちらにもコブシはなく、テンポもその後に録音されたものより速いというか、これがイン・テンポなのだろう。録音時間が片面4分半程度しかなかったSPだから、それに合わせて速くしたのかと思いきや、下に挙げる藤山一郎のSP再録音では既にコブシが入り、テンポも遅くなっている。

 この録音での歌い方が、『影を慕ひて』の標準となってしまったように思う。私は、このコブシ入りでテンポの遅いものは好きになれない。藤山一郎の最初の録音がいい。イン・テンポでノン・ヴィブラート、ギター一本での伴奏が好きだ。

 

by Abend5522 | 2012-11-22 23:51 | クラシック以外の音楽
2012年 11月 21日

読み古した音楽の本


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 私のクラシック入門書。1965年の初版本で、上下巻がそれぞれ300円。
 大宮真琴氏の文章は平易で、有名な作品について親しみ易く解説されているが、上巻の前書きに、氏がNHKの「土曜コンサート」の解説を始めた時に長男が生まれ、6年後に番組が終了した直後に不慮の死を遂げてしまったことが淡々と綴られており、わずか6歳で世を去ってしまった、クラシックが好きだった息子にこの本を捧げたいと書かれているのには、痛切な思いを抱かずにはいられなかった。

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 堀内敬三と村田武雄の両氏が監修した本。1968年の初版本で、価格は460円。下鴨の「鴨川ボウル」でボウリングをした帰りに、今も健在の葵書房で買ったものだ。
 口絵に有名作曲家たちの肖像画や写真が載っている。マショーからブリテンまでが取り上げられているが、ブリテンの前にシュトックハウゼンやブーレーズの項がある。こちらはかなり詳細な解説が施されているが、時代ごとに区切られた各々の最初には、その時代の音楽史が詳しく書かれているので、音楽史の本としても価値がある。アルス・ノヴァ期やフランコ=フランドル楽派の歴史は、この本で基礎を学んだ。

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 ブログにも紹介したことがある、関西交響楽団時代から大阪POのマネージャーを務めた野口氏のエッセイ集。1971年の第三刷本で、価格は700円。
 我儘な楽団員相手の苦労話、朝比奈隆や正岡子規の息子との面白いエピソード、若き日のエッシェンバッハなど海外の演奏家との交流から、氏自身の痔瘻体験談まで、長年にわたって裏方に徹して来た人ならではのあれこれを知ることができる、楽しい一冊だ。コンヴィチュニーのことも書かれているので、その箇所を挙げておきたい。

「先年亡くなった偉大なマエストロ・コンヴィッチュニーは、ゲヴァントハウス・オーケストラといっしょに羽田空港に着いた。税関の中まで出迎えに行った私は、彼に、「今すぐブランディが飲みたい」と言われて困った。「ここでは無理だ」と言ったが、「飲まねば大阪行きの飛行機にも乗れない」と、美人の奥さんの言葉にアチコチ探して、やっとトリス・ウイスキーの飲み残しを持っていた部下のことを思い出した。それを恐る恐る飲んでもらって大阪へ連れて帰った。彼は強度のアル中だったのだ。日本から帰って間もなく亡くなった。しかしあの素晴らしい彼の「第九」の名演奏の記憶は、今も瞼に焼きついている。」(p19)

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これも、ブログで紹介したことがある。1986年の第三刷本で、価格は1700円。
著者の五島氏は、循環器病が専門の医師であるクラシック愛好家だ。ヘンデルからバルトークまでの、30人の作曲家について簡単に紹介し、医師の立場から病歴や死因について見解が述べられている。
 例えば、モーツァルトの死因は、「リウマチ熱から心臓弁膜症(大動脈弁口狭窄)がおこり、度重なる瀉血によって貧血をきたし、心不全をきたして死亡したという解釈がもっとも妥当なものではないかと思われる。」(p49)として、梅毒治療に用いた水銀による中毒死というケルナーの見解は支持していない。
 他にも、ウェーバーの項では青酸蒸気が当時咳止めに用いられていたことや、医師が彼に投与した「ガイルナウ水」とはどのようなものか不明としている。また、メンデルスゾーンの死因については、これを謎とするケルナーに同調しているなど、当時の治療法や病名判断などを知ることが出来る、有益な一冊だ。

 私は、スライド式の本棚を2台使っているが、これらの本はその一番上の棚に「殿堂入り」を果たしている。

by Abend5522 | 2012-11-21 00:53 |
2012年 11月 20日

カラヤン断想


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 初めて買った2枚の17cm盤のうち、1枚が『ウィリアム・テル』序曲、『魔弾の射手』序曲のカラヤン盤であることは右に述べた。 http://abend.exblog.jp/17641321/
 上のCDに『ウィリアム・テル』序曲、下のそれに『魔弾の射手』序曲が入っている。どちらも廃盤になっているものだが、幸いにしてオークションで入手できた。フィルハーモニア時代、BPO時代初期のカラヤンは若々しく、ザッハリッヒな演奏で楽しませてくれる。

 下のCDジャケには、メンデルスゾーンの序曲『フィンガルの洞窟』のタイトルが大きく記されているが、この曲は次のCDに入っている、1970年代のDG盤の方が断然に素晴らしい。
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 この演奏は、『スコットランド』とカップリングだったLP時代から愛聴している。ゴールウェイが吹く、最後のフルートのディミヌエンドが特に素晴らしい。

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 今も大事にしているカセット。そのA面に録音したシベ4のライヴこそ、私にとって多くの演奏で聴いた同曲の最高のものだ。会場が異様な静寂に包まれており、演奏が終わると拍手がクレッシェンドして行く。聴衆が演奏に圧倒されていることがわかる反応だ。カラヤンはスタジオ録音もしているが、それよりも数段優れていると思う。
 33年前に録音したこのテープは、何度聴いたことか。保護のためにMDにダビングをしておいたが、数年前にCD-R専門のカペルマイスターレーベルからこれが発売されていることを知り、早速に購入した。カセットにあるノイズは減少しているが、左右の位相が怪しくなる箇所が幾つかある。購入時にはまだCDレコーダーを持っていなかったので、今ならカセットからCD化できるのだが、この素晴らしい演奏をディスクで入手し得たのは大いなる喜びであった。

 1973年の来日公演だったと思うが、ブルックナーの7番をテレビで中継していたのをじっくり聴いた覚えがある。レコードは、ベト5&未完成のDG盤を知人から貰ったが、殆ど聴かなかった。中古で買ったブルックナーの8番もそうだった。一方で、チャイコフスキーの『悲愴』&リヒテルとのP協1番や、発売されてすぐに買ったロストロポーヴィチとのドヴォルザークのVc協はよく聴いた。だが、それ以上によく聴いたのは、ヴェルディの歌劇だった。カラヤンのイタリア歌劇はいい。
 シェーンベルクの『浄夜』も、DG盤と、sawyer様にご教示いただいて買った英国でのライヴ盤を取り上げるべきだが、『浄夜』については別して書きたいので、その時に触れたいと思っている。

 1977年の3月に、大阪フェスティヴァルホールでベーム/VPOの公演を聴いた時、その11月に来日するカラヤン/BPO公演のチケットを売っていた。買えるだけのお金は持っていたのだが、過ごしてしまった。今から思えば、惜しいことをしたものだ。


 

by Abend5522 | 2012-11-20 22:59 | クラシック音楽
2012年 11月 18日

味わい深い歌謡曲から



 斉藤由貴の『いつか』(1992)。故郷を離れる歌。歌詞は彼女の自作。スタジオ録音より、この20年前のライヴがいい。姿勢の正しい歌い方が印象的だ。


 山口百恵の『夜へ』(1979)。相米慎二監督の映画『ラブホテル』でも使われた。阿木燿子、宇崎竜童夫妻による作詞・作曲。コーダには複数のヴァージョンがある。歌謡曲のひとつの極北というべきか。


 海道はじめとスナッキー・ガールズの『スナッキーで踊ろう』(1968)。カルト歌謡ファンなら知らぬ者のない曲。これは、プリマハムのソーセージ「スナッキー」のCMソングで、演歌作曲家の船村徹が、初めてGS調の曲を作ったらこうなった。
 歌っている海道はじめは民謡歌手。そして、バックのスナッキー・ガールズは、小山ルミ、風吹ジュン、吉沢京子という豪華な3人だ。


 二葉あき子の『夜のプラットホーム』(1947)。今もなお、駅は別れの象徴だろう。戦後わずか2年にして、こういう都会的ロマンの曲が歌われたことに驚く。



 『鈴懸の径』(1942)。立教大学にある鈴懸(プラタナス)の小道に由来。佐伯孝夫の詞に灰田晴彦が曲をつけ、弟の灰田勝彦が歌った。二人は、ハワイ出身の日系3世。戦時中に、こういうカレッジ・ソングが作られたことに驚く。
 灰田勝彦の声は昔から好きではないので、ここでは倍賞千恵子が歌ったものと、戦後この曲をジャズにアレンジして一躍有名にした、鈴木章治とリズムエースによる演奏を。

私にとって味わい深い歌謡曲は、まだまだある。今回はこれで。

by Abend5522 | 2012-11-18 00:28 | クラシック以外の音楽
2012年 11月 16日

この三冊で

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 年度末が近づくと、博文館のノートを3冊買う。

 赤のデスク・プランナーは仕事用で、スケジュールとメモに使っている。付けてあるのはロフトで買ったクリップで、書類やメモを臨時に挟んでおくためのものだ。

 茶のデスク・プランナーは日記帖。当用日記で、1ページが2日分になっている。以前は高橋の3年用を使っていたが、一日分の欄が小さいので、数年前からこれにした。
 日記帖を初めて持ったのは、小学校6年の時だ。今はもうないが、新京極を三条側から入ったすぐのところに本屋があり、亡父が日記をつけろといって、博文館の自由日記を買ってくれたのが最初だった。以後、ずっとつけているわけでないのだが、ここ3年ほどは毎日つけている。

 黒のエリート・プランナーは録画スケジュール用。毎月上旬から中旬の間に、次の月の分をネットで調べて、放送時間・チャンネル・番組名を記入する。
 録画はHXモードで行っているが、2番組が被る時には一方をDRモードにしなくてはならないので、BDにムーブする場合は、レコーダーの電源を切った後にHXへのモード変換が行われるようにしておく。録画したものの多くは観たら消去するが、CS放送でやっている30分、1時間の連続物などは、BD1枚で多くのタイトルが入るので、その分量になるまではレコーダーのHDDに貯めておくことになる。
 
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 テレビがソニーのブラビアなので、ネットに接続してあればYouTubeを直接見ることができる。画像は、『カルメル派修道女の対話』のラストシーン。20数年前のメトのライヴゆえ、ソースが標準画質で良くないのだが、ジェシー・ノーマンが『サルヴェ・レジーナ』を歌い始める場面だ。
 標準画質といえば、スカパーではとうにHD放送されているクラシカ・ジャパンが、ケーブルTVではまだそうなっていないのは不満である。

by Abend5522 | 2012-11-16 19:23 | 日々の事
2012年 11月 14日

"Die Letste am Schafott"  その 題名に関する素人の思いつき


 sawyer様のご教示によって、プーランクの歌劇『カルメル派修道女の対話』を知った。全曲を視聴したことはないが、衝撃的なラストシーンは強烈な印象をもたらす。

http://homepage3.nifty.com/classic-air/database/poulenc/dialogues_des_carmelites_exp.html
 上記URLの資料は、元々原作小説を映画化するために作られた脚本が、如何なる経緯で歌劇の台本となって行くかを教えてくれているが、これを読んでひとつの疑問が湧いた。
 作品の原題は"Dialogues des carmelites"だが、"Dialogues"がなぜ「対話」という訳になるのだろう。原作小説が、刑死しなかったマリーとの対話が綴られた手紙という形を取っているからなのか。それとも、修道女の間での対話や会話がストーリーの核心となっているからなのか。どうも、そうとは思えない。
 上記の資料を見ると、映画化の予定だった題名は『騎士』で、歌劇の台本作者であるベルナノスは台詞の部分を担当したとある。それをプーランクが歌劇にしたわけだが、別に調べて見ると、既に映画化されていたものを歌劇にしたのではなく、歌劇でのストーリーが後に映画化されている。歌劇の初演から3年後の1960年に上映された、ジャンヌ・モロー主演の映画がそれである。
 このような経緯から考えてみると、"Dialogues des carmelites"という題名は、ベルナノスが書いたのが「台詞」だったことに因るのではないだろうか。ネットにある仏和辞書で"Dialogues"を調べてみると「台詞」という意味があったので、"Dialogues des carmelites"は『「カルメル派修道女」という台詞』とでも訳すのが正しいのではないだろうか。

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 原作であるゲルトルート・フォン・ル・フォールの小説"Die Letzte am Schafott"。レクラム文庫に入っているので、入手しやすいと思う。
 "Die Letzte am Schafott"の邦題は『断頭台の最後の女』となっているが、これについても素人の思いつきで語ってみたい。
 "Gillotine"を日本では「ギロチン」というが、これはドイツ語読みである。しかし、原題には"Schafott"という言葉が使われている。調べてみると、"Schafott"にも「断頭台」、そして「処刑台」という意味があったので、なぜ"Gillotine"ではなく"Schafott"が用いられたのかはわからない。"Die Letzte am Schafott"が発表されたのは、ヴァイマール共和国時代末期の1931年で、この時代のドイツではギロチンが使用されていたようだから、男爵の娘であった作者には何らかの慮りがあったのだろうか。
"Die Letzte"は、英語の"The Last"と同じで、「一番最後の」という意味である。従って、"Die Letzte am Schafott"を逐語訳すると『断頭台に一番最後のが』となり、刑死するのが修道女たちだから、邦題には「女」を加えたのだろう。それはいいのだが、「一番最後のが」が気になる。
 sawyer様が挙げて下さった台本の対訳を一読し、自分でも少し調べたのだが、架空の主人公であるブランシュは、母親が乗った馬車が暴徒に襲われた直後に生まれ、母は産後すぐに死んでしまった。そのために、ブランシュは恐怖心が異様に強く、神経質な性格になってしまったという。そして、世間ではまともに生きて行けないと思いつめた彼女は、カルメル会に入信する。無論、そこには民衆によって脅かされつつある、貴族の娘という自らの身分への思いもあっただろうが、本質的には臆病な一人の娘の現実逃避だったと思う。しかし、逃避先であったカルメル会では、恐怖に苦しんで死んだ修道院長を眼のあたりにし、修道女の合意となってしまった殉教に恐怖して逃げ出したブランシュは、いわば「最も殉教したくない女」あるいは「最も殉教するはずのない女」だったのではないか。
  "Die Letzte"の用法としてあるのかはわからないのだが、「一番最後のが」には、「一番そうしたくないのがそうした」、「一番そうするはずのないのがそうした」という意味が隠されているのではないだろうか。どう見ても殉教するとは思えず、そもそも死刑を宣告をされていないブランシュは、自分の意志で最後に断頭台に上がった。ゆえに、彼女は刑死ではないのだが、キリスト教における殉教がイエスの死を追体験することにあるのならば、それは刑死の形を取らねばならないだろう。では、刑死すなわち殉教ではなかったブランシュの死とは何だったのかといえば、私は「仲間への殉死」であったと思う。
 殉教した最後の修道女は、コンスタンスである。彼女の最期の声は、「サルヴェ・レジーナ」の歌詞の最後にある"O dulcis Virgo Maria."(おお、甘美なる処女マリアよ)の"Ma"で終わっている。しかし、ブランシュは「サルヴェ・レジーナ」を歌い継がなかった。彼女が歌い始めたのは、マーラーも交響曲第8番で用いたヒムヌス(讃歌)の"Veni creator spiritus"(来たれ、創造主たる聖霊よ)の最後の連である。"Deo Patri sit gloria"(父なる主に栄光あれ)で始まり、最終句の"In saeculorum saecula"(永遠に)を反復する"In saeculorum"のところで、ブランシュの声は途絶えた。
 ブランシュが、なぜ「サルヴェ・レジーナ」を歌い継がず、"Veni  creator spiritus"の最後の連を歌って死んで行ったのかはわからない。ただ、彼女が刑場で殉教の歌となった「サルヴェ・レジーナ」を歌い継がなったのは、彼女が最期まで殉教したくない、殉教するはずのない女であったとだけは言えそうである。

 とりとめなく、素人の思いつきで書いてしまった。
 
  

by Abend5522 | 2012-11-14 00:33 | クラシック音楽