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Abendの憂我な部屋

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2012年 09月 30日

二つの訃報から枝分かれして



ヴァイオリニストの諏訪根自子が、3月に92歳の高齢で亡くなっていたと報ぜられた。彼女の美貌は昔から知っていたが、演奏を聴いたことは無かったと思う。挙げたのは、12歳の彼女が弾いた『ユモレスク』だが、ヴァイオリンを習っている子供という印象しか受けない。長じてからの録音が発売されるのかはわからないが、クナッペルツブッシュ/BPOと共演したことがあるらしいので、海外に録音が残されているかも知れない。
 読んだことはないのだが、里見 弴の小説『荊棘の冠』は諏訪根自子をモデルにしているらしい。里見 弴は有島武郎の実弟だから、往年の俳優森雅之の叔父に当たる。また、姉の有島愛は結婚して山本姓となり、後に指揮者となる山本直忠の母となった。山本直純の父である。従って、有島武郎、画家の有島生馬、里見 弴の有島三兄弟は、山本直純の大叔父ということになる。更に、山本直忠の兄弟である山本直正は与謝野晶子の娘と結婚したので、与謝野鉄幹、晶子夫妻は、山本直純から見れば叔母の両親である。


 25日には、アンディ・ウィリアムスが84歳で亡くなった。あの甘いハイ・バリトンで歌われた数多くの曲の中でも、上に挙げた映画『慕情』の主題歌が一番好きだ。メロディーが、『蝶々夫人』の「ある晴れた日に」に似ているが。
 原題の"Love is a Many Splendored Thing"が、映画の中でウィリアム・ホールデン演ずる新聞記者エリオットの朗読するトムソンの詩に由来するものであることは知っているが、この題名はどう訳せばいいのだろう。"Splendored"が名詞Splendorの形容詞的用法ということはわかるのだが、ではなぜ"Splendid"という形容詞があるのに、わざわざ名詞を形容詞化させたのか。また、Many"の前になぜ"a"があるのか。
 勝手に考えて見ると、"Love is a"は"Thing"に掛かり、"Thing"の内容が"Many Splendored"になるのだろうか。そう考えると、「愛は、その全てが壮麗なただ一つのもの」とでもなろうか。
 邦題の『慕情』は原題とずいぶんかけ離れているが、この映画が公開された1955年当時の日本では、邦題に漢字二字を当てるのが主流で、その方がアピール出来たのかも知れない。
 
 今では、外国映画の邦題はそのままカナ表記されたものが多く、これはこれで何のことやらわからないケースが多々ある。これに比べると往年の外国映画の邦題は多彩で、" Shall We Dance"→『踊らん哉』のように文語調直訳型や、"Close Encounters of the Third Kind(第三種接近遭遇)"→『未知との遭遇』などの、直訳では宣伝効果が上がらないタイプのものがある一方で、ポー原作の"The Premature Buria(早すぎた埋葬)"→『姦婦の生き埋葬』、ラブクラフトの『チャールズ・ウォードの奇怪な事件』を映画化した"The Haunted Palace(幽霊の出る屋敷)"→『怪談呪いの霊魂』とした、配給元である大蔵映画の「やりたい"邦題"」のものもある。
  

by Abend5522 | 2012-09-30 00:27 | クラシック音楽
2012年 09月 28日

天使とストゥーパ


 京都のマリンバ奏者である通崎睦美に、『天使突抜一丁目』というエッセイ集がある。架空の地名ではない。下京は、堀川松原を東へ三筋目の東中筋通を下がった所に実在する。

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 東中筋通を更に下がって五条通が近くなると、画像のように天使突抜二丁目となる。なお、「天使突抜」の読み方は「てんしつきぬけ」である。

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 天使突抜の由来は、この五條天神にある。この天神さんは、説話集『宇治拾遺物語』に「昔、延喜の御門の御時、五条の天神のあたりに・・・」とあるので、10世紀前期の延喜年間には存在していたことが知られる(社伝では、平安遷都の時に弘法大師が開いたとある)。
 五條天神は、鎌倉期まで「天使社」あるいは「天使宮」と呼ばれていたらしい。古語の「天使」は「勅使」と同じなので、「てんじん」→「てんじ」→「てんし」という流れで考えるよりは根拠があるだろう。
 「突抜」については、当時この一帯が広大な森であり、現在の東中筋通が、この森を「突き抜け」て設けられた天神さんへの参道であったことによる。
 天使突抜は、五条通を挟んで四丁目まである。京都では「~丁目」という呼び方を日常的にはしないのだが、天使突抜では普通に使っているようだ。

 天使突抜にヒントを得て、実在しないその六丁目での怪異を描いた映画『天使突抜六丁目』の予告編も、ついでに挙げて置こう。

 天使突抜から、何の脈絡もなく壬生寺へ。
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 前に住んでいたところが壬生だったので、久々に来ると懐かしい。新撰組の屯所跡と隣接している壬生寺には、寺内に新撰組隊士の墓などがある。新撰組の人気は相変わらず高いようで、今日も修学旅行と思しき女子中学生の一群がいた。
 壬生に集まった浪士たちは身なりが貧しく、為に当時の町衆は彼らを「身ぼろ」に掛けて「壬生浪(みぶろ)」と嘲ったが、松平容保から新撰組と公認されてからの評価はどうだったのだろうか。
 中と下の画像が、20年ほど前に造られた千体石佛塔。ストゥーパの形になっている。ストゥーパ(stûpa)は「積み重ねる」という意味のサンスクリット語で、その音写が「卒塔婆」である。原型は饅頭形の円墳で、佛教では釈迦のシャーリ(舎利)、すなわち佛舎利を収めたとされている。壬生寺のものは東南アジアのストゥーパに近い形だが、佛教東漸とともにストゥーパは塔となり、板の卒塔婆となって行った。
 上の画像にあるとおり、10月になれば秋のガンデンデン(大念佛狂言)が行われる。9月も終わりだが、土・日は台風17号『ジェラワット』が接近するので、自転車で走れそうにもない。
 


 

by Abend5522 | 2012-09-28 20:49 | 京都
2012年 09月 27日

BWV906


 バッハのBWV906はハ短調の幻想曲である。正確には、その後に未完のフーガが付いているのだが、幻想曲のみ演奏されることが多い。バッハのライプツィヒ時代である1730年代に作曲された、5分足らずの小品。半音階進行と先鋭的なリズムが特徴だ。

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 LP時代から愛聴しているのがリヒター盤。1969年の録音で、演奏時間は4:52。
 リヒターのチェンバロは時に荒っぽくなることがあるが、この曲での求心力は素晴らしい。強弱のコントラストはあまりつけず、一気呵成に弾き上げた剛毅な演奏だ。

 よく知られた曲なので、YouTubeにも様々な演奏がアップされているのだが、リヒターの演奏が見当たらないのには不満を覚える。とまれ、その中から3種類の演奏を挙げておきたい。


 ランドフスカの演奏。1928年の録音で、演奏時間は3:24。
 強弱のコントラストの鮮やかさ、跳ねるようなリズム、コーダでのラレンタンドが印象的だ。


 ピアノ版では、マルティン・シュタットフェルトの演奏を推したい。2004年の録音で、演奏時間は4:54。
 シュタットフェルトは32歳の若手だが、前に『ゴルトベルク変奏曲』の演奏を聴いた時に、只者ではないと直感した。幻想曲の演奏でも、これだけ一音一音の処理を正確にやっていながら流れが阻害されず、曲の構成がはっきりと解るように表現している。リヒターと殆ど変わらない演奏時間なのに、その体感は全く異なる。今風という枠では捉えられない、私が最も注目しているピアニストのひとりだ。


 ジャック・ルーシェ・トリオによるジャズ版。1963年の録音で、演奏時間は4:57。
 ジャズには不案内なので、この演奏の特徴を言葉でどう表現していいのかわからないが、即興部分であまり崩してないのがいい。気品の高いアレンジだと思う。

 僅か5分足らずのBWV906に、バッハの宇宙を感じる。 

by Abend5522 | 2012-09-27 22:04 | クラシック音楽
2012年 09月 25日

今日の風景あれこれ

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 NHK京都放送局。放送、視聴覚関係の役員をしていた時には、月に一度はここへ出張していた。老朽化のため、3年後にオープンする予定で烏丸御池へ移転するのだが、画像にある中波の受信塔はどうなるのかが気になる。

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 NHKの近くにある『山中油店』。食用油の専門店だが、自然素材の塗装用油や椿油なども扱っている。中の画像にある水車は、菜種から油を絞る動力として使われたものだろう。また、ここは平安宮の一本木御所が在ったところで、下の画像はその跡である。

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 千本鞍馬口にある『千本ゑんま堂』。塀のないお寺だ。日中は朝廷の官吏として働き、夜は閻魔庁で務めていたという伝説のある小野篁の開基とされている。説話集『江談抄』には、彼が嵯峨帝から「子」の字を十二個並べたものを読めと命じられ、「ねこのこのこねこ ししのこのこじし(猫の子の子猫 獅子の子の子獅子)」と即答した有名な話がある。

 鞍馬口通を東へ行き、紫明通に入って賀茂川に至るまでの色々。
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 京都では有名なお風呂やさんである『船岡温泉』。有形文化財。
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 2階ではジャズなどの演奏も行われる珈琲店『ガロ』。私が知る限りでの京都の珈琲店の中では、ベストに入る美味しさだ。
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 お風呂屋さんを改装したカフェ『さらさ』。前は何度も通っているが、まだ入ったことがない。
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 烏丸紫明の珈琲店『花の木』。私の出身大学のすぐ近くなので、学生時代にはよく行った。店は昔と全く変わっていない。
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 上の画像にあるマンションの位置に、中華料理店『鳳舞』があった。下の画像は、紫明通の中央分離帯に細長く作られた『せせらぎ公園』。水は、賀茂川の下を流れている疎水分線から引いている。

 烏丸通を下がる。
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 同志社は、もうかなり長い間、烏丸キャンパスの拡張工事を行っている。今出川キャンパスから北へ200mぐらいのところにある上の画像が、その端のようだ。
 同志社は、やはり今出川キャンパスがいい。御所と相国寺とともにある風景は、稀に見る神・佛・基エリアだ。来年のNHK大河ドラマ『八重の桜』は、同志社の創立者新島襄の妻である新島八重が主人公である。

by Abend5522 | 2012-09-25 22:39 | 京都
2012年 09月 23日

ヴィルトゥオーゾと大和魂


 余りにも有名な『ラ・カンパネッラ』。
 パガニーニが作曲したものをリストが編曲し、それを更にブゾーニが編曲したものをオグドンが弾いている。
 まさにヴィルトゥオーゾの魂が、百数十年間にわたり、この4人に相続されているというべきだろう。

 ヴィルトゥオーゾはラテン語で「美徳」を意味するVirtusに由来する語で、転じて優れた技術を有する芸術家を表すものとなった。

 「技術だけで精神性に欠ける」。クラシックを聴き始めて以来、この陳腐な文句を何度見聞きしたことだろう。音楽だけではない。日本を無残な敗戦に追い込んだのも、こういう観念で染められてしまった「大和魂」によるものなのだ。

 「才をもととしてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強うはべらめ。」

 『源氏物語』第二十一帖「少女(乙女)」の一節。光源氏が、息子である夕霧の元服に際して、「才」(ざえ。学問のこと)の重要性を説くシーンであり、これが「大和魂」という語の初出とされている。そして、「政治における実務能力」というのが、その意味だ。音楽でいえば楽曲を処理する能力であり、それに優れた者がヴィルトゥオーゾということになる。

 「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」

 本居宣長の有名な歌。鎖国下の江戸期に起こった国学の底流を成すナショナリズムは、大和魂=大和心の意味を大きく変えてしまった。宣長は『源氏物語』を研究し、紫式部のキーワードである「あはれ」の意味も正確に理解していたが、それを国学のナショナリズムに「応用」してしまった。敷島(日本)を外国との対立関係で捉え、日本古来の純粋な物事の見方として「あはれ」を据えてしまったのである。これを知れば、紫式部はビックリし、彼女と同時代の清少納言は「私のキーワード『をかし』はどうなのよ!」と怒ったことだろう。

 宣長は、「敷島の大和心」が、後世に「肉弾粉と砕くとも 撃ちてしやまん 大和魂」(『空の神兵』)の果てに無残な敗戦を招来し、今に至るも「技術だけで精神性に欠ける」という陳腐な観念をのさばらせようとは、思いもしなかっただろう。「朝日」も「山桜花」も、自然の為す「技」ではないのか。
 

by Abend5522 | 2012-09-23 22:47 | クラシック音楽
2012年 09月 22日

見た目は何だが

 散髪の後、いつも行く家電量販店へ寄った。買ったのがこれ。
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 デジカメ用の三脚「ゴリラポッド」で、自在に曲がり、バーに巻きつけて固定することが出来る。自転車のハンドルにデジカメを載せようと思って買った。1.500円。
 マウントが付属した自転車搭載用のビデオカメラも市販されているが、まずは手持ちのデジカメをこれで使ってみようと思う。

 用がないので普段は行かないテレビのコーナーをうろついていると、薄型テレビ用の外付けハードディスクがあった。2TBの容量で7千円台と安く、主要メーカーのテレビに対応している。普段使っているケーブルTVのSTB兼BDレコーダーが500GBなので、その4倍もの容量がこの値段で買えるとは驚きだ。更に安価になり、またもっと小型化すれば、ディスクに焼くという現在の方法から転換して行くのではないか。現行ディスクの最大容量がBD2層の50GBだから、2TB(2048GB)のハードディスクだと量的にも経済的にもかなりお得である。要は、普及するかどうかだ。

by Abend5522 | 2012-09-22 22:23 | オーディオ・映像・機材
2012年 09月 22日

北「奇」行

 夕方に散髪の予約を入れたので、昼過ぎからそれまでの間、自転車で少し走って来た。
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 金閣寺の前から鏡石通を北へしばらく行くと「しょうざん 光悦芸術村」。鷹峯に広がる3万5千坪のレジャー施設で、日本庭園、結婚式場、プール、ボウリング場、料理屋などがある。鷹峯一帯は、本阿弥光悦が徳川家康から拝領し、美術工芸品の創造拠点とした場所である。これから秋が深まれば、この辺りは紅葉に充たされる。
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 「しょうざん」の中から再び姿を現した紙屋川に沿って、鏡石通を更に北へ行くと、上の画像のように千束へ抜ける道に入る。気温は28度。京都の最高気温は今日も30度少しあったが、この辺りは涼しい。
 この道を抜けると、中の画像にある千束から鷹峯へ上がる激坂が東側に現れる。21%勾配のこの坂は、京都の自転車やバイク乗りの間では有名だ。私も何度か自転車を押して上がったことがあるが、短距離ながらもこの勾配なので、ここを一気に上がれる自転車乗りはいるのだろうか?上がって少し行けば、本阿弥光悦の住居がお寺になった光悦寺がある。
 激坂をパスして北へ行くと、すぐに下の画像にある千束の集落へ着く。画像の道標にあるとおり、ここから先は京見峠までの長坂越となる。京見峠からの旧道で、その名のとおり長い激坂が続く上に、途中には「熊出没注意」の看板などがある。どいういう所かと思われるかも知れないが、金閣寺の前から自転車でたった10数分の所である。長坂越は当然パスして、道を左に取る。
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 少し行くと紙屋川に架かる小橋があり、そこから川沿いに少し北上すると、画像のような風景となる。透明度の高い川の水が涼しい。この道は自然歩道でもあるので、休日などはハイカーが多いが、車も通る。なぜ車が通るかといえば、ここから更に1kmほど行くと、箔や瑠璃、そして座卓の工房などがある集落があるからだ。そこからは、周山街道の中川に至る山道となる。
 小橋までもどり、緩やかな坂道を走る。「しょうざん」のゴルフクラブの前を過ぎて行くと、原谷の町へ入る。
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 原谷の中央交差点。左に行けば、これまた激坂の氷室道を下りて、立命の西園寺記念館の前に至る。この道を、市バスがここまで走っている。
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 原谷の南端に小高くなったところがあって、そこから上の画像のような石段を下るようになっていた。すぐに道へ出るだろうと思い、自転車を押して行くと、石段は延々と続いているではないか。仕方なく押して歩き続けると、やっと下の画像のところへ出た。ここは原谷から下りて来る氷室道のバス停がある場所で、早い話が原谷から石段で下りて来たわけだ。そして、そのためにチェーンが見事に外れていた。
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 チェーンを掛け直し、すぐのところにある天龍神大神社へ行った。小さな境内は、池を回遊出来るようになっている。小さな祠が幾つもあり、中でも鯉、金魚などの供養塔があるのは水神たる龍神を祀るが所以だろう。少しぶれてしまったが、小さなお地蔵さんも可愛らしい。
 この辺りは、不思議之谷不思議不動尊が広い敷地を占めているが、参るにはしんどい坂の上にあるので、今日のところは遠慮しておいた。

 

 

by Abend5522 | 2012-09-22 21:40 | 京都
2012年 09月 18日

めぐり逢う膀胱結石手術図

 20年ほど前に、『めぐり逢う朝』というフランス映画があって、レンタルビデオで視た。原題は"Tous les matins du monde"。フランス語ができないので直訳ではどうなるのかわからないが、邦題だけ見ると恋愛映画と間違われるだろう。実話か作り話かは知らないが、戦中のキスカ島撤退作戦を描いた東宝映画『キスカ』の「カ」を「力(りょく)」と読み間違えて、凄いキス・シーンがある映画と思い込んだ人がいたらしいのと同じようなものか。

 『めぐり逢う朝』は、ルイ14世に重用されたヴィオール奏者にして作曲家のマラン・マレの修行時代を、彼の師であるサント=コロンブとの師弟愛と確執を通して描いた作品で、いいものが少ない音楽家の伝記映画にあっては出色の映画だった。

 マレの曲で聴いたことがあるものは極めて少ないが、珍曲として有名な『膀胱結石手術図』(Le Tableau de l'Opération de la Taille)はだいぶん前に聴いたことがあった。そして、ヴィオール、クラヴサンにナレーション付きのこの曲をここに取り上げようと思ったのは、先日泌尿器科で膀胱内視鏡検査を受けたことによる。機縁というのは、面白いものだ。




 フランス語がわかるのなら上の演奏がいいと思うが、黛敏郎が司会をやっている『題名のない音楽会』での日本語ヴァージョンの方も、演奏は凡庸だがナレーターの表現力がなかなかいい。

 『膀胱結石手術図』は、マレ自身の体験を描いた曲らしい。結石は、今では大きくなっても服薬やレーザーによる破砕治療が主で、小さい段階では放置される。私も以前から腎臓と胆嚢に小さな結石が幾つかあるが、治療の指示をされたことはない。尿路結石は2回やったが、あの激痛はなかなかのものだ。歯痛、痛風、椎間板ヘルニアによる坐骨神経痛とともに、私が味わった四大激痛のひとつである。それでも、服薬だけで自然排尿されて治まった。
 これに比べると、ヒポクラテスの医術が依然として信奉され、当然麻酔もなく、外科手術でもアラビアに大きく立ち遅れたいたマレの時代のヨーロッパにおいて、膀胱結石の手術は命がけだったはずだ。私も膀胱内視鏡検査後に高熱が出たが、マレの時代では手術の予後も悪く、落命の危険性が高かったに違いない。

 曲自体は暗から明へと展開する素朴なもので、題名やナレーションがなければ、ヴィオールとクラヴサンによる小品として記録にしか残らなかったかも知れない。また、題名があって現在に残っていても、曲の進行が何を表現しているのかわからないだろう。これは、当時でも同じことだったと思われる。だからこそ、ナレーションを付ける必要性があったわけだ。

 この曲は、手術中と回復を表す部分よりも、それに至る部分の方が巧みに表現されていると思う。手術台に一旦乗るが、怖くなって降りてしまうところから始まり、反省して再び台に乗ると、腕と脚の間に絹糸が巻き付けられるまでのシーンである。この絹糸は、痛さで暴れないようにするためだろうか。昔は縫合に絹糸が使われていたらしいが、ルイ14世の時代に糸で縫合が行われていたのだろうか。いずれにせよ、手術に限らず治療直前に恐怖感が増すのは、今も変わらない患者の心理である。

 マレの膀胱結石手術は成功し、彼は当時としては長寿である72歳の人生を完うした。そして、マレを重用したルイ14世も76歳の長寿を保ったが、この太陽王は歯痛のために全ての歯を麻酔なしで抜かれた上に、顎の骨まで削られた。そのために王は柔らかいものしか食べられなくなり、更にはひどい口臭が周囲の者を悩ませたという。歯痛を標題にした曲があるのかは知らないが、ルイ14世が現代に生きていれば、金に糸目をつけずにインプラントにしただろう。

by Abend5522 | 2012-09-18 22:07 | クラシック音楽
2012年 09月 17日

大叔父のこと

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 『キネマ旬報』1958年3月上旬号。東京の古書店にあるのをネットで見つけ、数百円で買ったものだ。
 なぜこれを入手したのかといえば、表紙にあるように「松竹撮影所の研究」という特集が組まれており、そこに下の画像のとおり「装置の仕事今昔」と題した一文を、当時松竹京都撮影所の装置課長であった大野松治が寄稿しているからである。

 大野松治は、私の大叔父である。父方の祖父の義弟なので、私と同姓ではない。20年近く前に高齢で亡くなったが、映画界を退いてからは現在の京都コンサートホール近くの下鴨の地で、煙草屋兼日用品店を夫婦で営んでいた。同居していた祖父は、煙草などを常に大叔父の店から買っていて、大叔父は自転車でそれを届けに来ていた。私をよく可愛がってくれた、優しい人であった。

 松竹京都撮影所には、太秦撮影所と下鴨宮崎町の下加茂撮影所があった。大叔父が装置課長をやっていたのは、1952年に中枢部が下加茂から太秦に移ってからの時期になる。下加茂撮影所は私の遊び場でもあったが、後に閉鎖された。太秦撮影所の方は、現在も松竹撮影所として続いている。

 大野松治が関わった映画作品で、私が把握しているのは次のものである。
 『少年戦線』(1930年。マキノ御室。三上良二監督。白黒無声)
 『お夏清十郎』(1936年。松竹下加茂。犬塚稔監督。白黒) *この作品で初めてテロップされる。
 『女の宿』(1941年。松竹下加茂。犬塚稔監督。白黒)
 『元禄忠臣蔵 前編・後編』(1941年、42年。興亜映画=松竹京都。溝口健二監督。白黒)
 『激怒』(1947年。松竹。小坂哲人監督。白黒)
 『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(1975年。新藤兼人監督。近代映画協会。ATG配給。カラー)

 これらのうち、『元禄忠臣蔵』と『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』はTVから録画したものを持っている。
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 『元禄忠臣蔵』のテロップ画面。この映画は、戦中の作品であるにもかかわらずセットが豪華なことで有名だ。指揮が当時まだ30歳足らずだった山田和男(一雄)であることや、この画面にはないが、新藤兼人が建築監督を務めているのも特徴である。
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 『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』で、新藤兼人からインタビューを受けている大野松治。場所は店の前だ。『元禄忠臣蔵』で、新藤兼人とともに溝口健二の下で仕事をした大叔父にとっては、感慨も一塩であっただろう。

 このドキュメンタリーが制作された1975年に、松竹下加茂撮影所は閉鎖された。

by Abend5522 | 2012-09-17 18:06 | オーディオ・映像・機材
2012年 09月 17日

堀川商店街

 下鴨から堀川の方へ行ってみた。

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 堀川紫明の大日本スクリーン製造の敷地に、今は山科に移転した瑞光院の跡がある。瑞光院は播州赤穂の浅野家ゆかりのお寺で、吉良邸討ち入り後に切腹した四十六士(切腹できなかった寺坂吉右衛門を除くので)の遺髪を供養したところである。碑は新しいもので、この辺りの町名にもなっている瑞光院に対する住民の愛着と企業の配慮がうかがえる。

 ここから少し北へ行くと、紫式部と小野篁の墓が左右に並んでいる所があるのだが、今日は堀川通を下がった。西陣織会館(ここが後援母体となり、その名もここに因んでつけられた京都ゲヴァントハウス合唱団というのがある)や、相変わらず人の多い晴明神社の前を通り過ごして、堀川商店街に入った。
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 この辺一帯は戦前に繁栄した"堀川京極"だったが、戦中に強制疎開が行われて姿を消し、代わって拡張された道が今の堀川通である。戦後、日本初の公営店舗付住宅としてできたのがこの商店街で、日曜ゆえ多くの店が休みなのだが、空き店舗も目立つようになって来ている。
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 上は「倉日用品店」。店先にある品を見てもわかるとおり、ユニークな雑貨屋だ。染物が中心で、店主が自ら染めた布のバッグなどを売っている。茶碗、カップ、弁当箱、水筒などから、マッチ、刃物、レアなプラモデルなども置いている。
 中はラーメン屋の「笑麺」。「倉田日用品店」の隣が本屋の「アポロン書房」で、その隣がここ。複数ある京都ラーメンの系統のうち、"背脂チャッチャ醤油系"の店だ。"チャッチャ"というのは背脂を散らす時の音。去年初めて行き、美味しさに感動した。
 下は、「笑麺」の隣にある「名曲堂 つだ」。今では少なくなった、町のレコード屋だ。クラシックも置いてあり、けっこう前に発売されたCDや中古盤も置いてある。今はなき出町の津田蓄音器と関係があるのかどうかは知らないが、堀川商店街のHPを見ると、四条寺町下ルで長く営業していて、昭和50年にここへ移転したとある。昔、寺町の「ヒエン堂」の近くに小さなレコード屋があり、何度か行ったことがあるが、それがこの店だったのだろうか。当時はクラシック中心の店だったはずで、「名曲堂」という名からもそれがうかがえる。

 今日は何も買わなかったので、次の機会を楽しみにしよう。
 
 

by Abend5522 | 2012-09-17 00:50 | 京都