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Abendの憂我な部屋

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2012年 08月 31日

ソノシートに思う

 引越しの際に、多くのレコードやCD等を処分した。ソフトだけでなくプレーヤーも処分したLDがある一方で、全部持ってきたものもある。3枚のSP盤と、10数枚のソノシートだ。3枚のSPは、作動しない大型蓄音器とともに元々家にあったもので、高田浩吉と美空ひばりの映画主題歌、それに小坂一也とワゴン・マスターズのもの。78回転がいけるプレーヤーがないので、保管してあるだけだ。

 ソノシートは、特撮物を高校時代に従兄弟にあげたので、今も持っているのはアニメが主だ。
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 初めて買ったソノシートが、この『8マン』。司会者としてお馴染みだった前田武彦が作詞をし、萩原哲晶の勇壮な曲を、後に殺人犯となってしまった克美しげるが歌い上げる主題歌は素晴らしいが、同じ作詞、作曲者で男声コーラスのミュージカル・アカデミーが歌う『夜のエイトマン』の方に聴き入ることが多かった。新幹線よりも早く走る8マンの名が"東八郎"というのも、放映時の1963年~64年という時代から見れば、カッコイイ名前だったのだろう。
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 こちらは、『カルピスソノシート 声のアルバム』。カルピスの懸賞に応募して当選したものだ。"昭和40年10月"と中に記されているから、1965年のものということになる。
 このソノシートは5枚組で、次のような部立になっている。

  1 お父さま編 《歴史に残る貴重な声》 ナレーター:森繁久彌
     エジソン、乃木大将、東郷元帥、レーニン、ヒットラー、スターリン、チャーチル、開戦ニュース、
     ルーズベルト、東条首相、終戦詔勅、毛沢東、カストロ、ケネディ、ガガーリン。
  2 お母さま編 《若い皇室の声》 《歴史を色どった声》 ナレーター:小島正雄
     清宮さまご成人、美智子さまのご婚約発表、浩宮さまご誕生、皇太子ご夫妻の訪米に際して、
     華子さまご婚約発表、君が代(原曲)、ケネディー夫人のメッセージ、ウインザー公、パデレフスキー、
     トルストイ、テレシコワ。
  3 お兄さま編 《マイッタ!マイッタ!おかしい声》 ナレーター:藤村有弘
     外人落語"ガマの油"、活弁"ジゴマ"の一席、ウルトラ珍奇イビキ選、大トラ小トラ収容所。
  4 お姉さま編 《世界の美しい歌》 ナレーター:高島忠夫
     シェリト・リンド、ロマンス、きょうもまた山の牧場に登る、マレキアーレ、アラ・カティティロ、
     ウェイリー・ウェイリー。
  5 お子さま編 《日本の楽しい子供の歌》 ナレーター:友竹正則
     春の小川、茶摘み、村祭り、故郷の空、虫の声、冬景色。

 よく聴いたのは1と3だったが、2に収録されている『君が代(原曲)』とはフェントン作曲の初代『君が代』で、またここにはピアニスト、作曲家にしてポーランド首相であったパデレフスキーの肉声が収録されているのも面白い。
 このソノシートは、オークションに数百円でけっこう出品されている。

 小学校に入った時、親が買い与えてくれたものが二つあった。電動鉛筆削りとポータブル電蓄がそれだ。どちらももう手元にはないが、中学1年の時にポータブルステレオを買うまでは、電蓄でソノシートを聴く日々だった。ソノシートの値段は当時280円が一般的で、ストーリーのページにカラー写真が使われているものは330円だったと記憶している。殆どは、今はなき出町の津田蓄音器で買ったものである。

     
     


 
 

by Abend5522 | 2012-08-31 21:00 | クラシック以外の音楽
2012年 08月 28日

夢か現かデル・モナコ

 日曜日は熱かった。暑かったのではない。朝から高熱が出て、昨日やっと下がったのだ。24日に膀胱内視鏡検査を受けた時に、発熱があるかも知れないと主治医から言われていたのだが、39.9度まで上がったのにはまいった。昨年の2月にインフルエンザをやった時以来の熱い一日余りで、夢か現かわからぬ状況をさまよっていた。今日、泌尿器科へ行った。薬が出された。

 そんな中、先日入手した『オテロ』のエレーデ盤が届いた。 
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 デル・モナコ、テヴァルディ、プロッティが歌った『オテロ』といえばカラヤンの1961年盤が余りにも有名だが、私はLP時代からエレーデの1954年盤の方が好きだった。オケはカラヤン盤のVPOの方がエレーデ盤のサンタ・チェチーリアOも上手いし、効果音をふんだんに使ったデッカのジョン・カルショウによる録音演出も面白い。
 しかし、こういったこういった利点を持つカラヤン盤よりもエレーデ盤が好きなのは、ひとえに歌手たち、特にデル・モナコやテヴァルディの全盛期の声が聴けることによる。イァーゴのプロッティには両盤でさほどの違いはないが、イタリア歌劇団の来日公演でのゴッビとの録音は望めなかったので(ゴッビはEMIと契約していたので)仕方あるまい。ヴェルディは題名を『イァーゴ』にすることも考えたほど、この役柄に惚れ込んでいたのだが、プロッティも声が明るいという難点はあるが、デル・モナコより5歳年下、テヴァルディより2歳年上の歌手だから、臆することなく堂々とこの難役を歌い切っている。日本での知名度の低さが惜しまれる歌手だ。

 エレーデ盤は、私の"後悔盤"の一つだった。9年前に引越しをした時、CDで買い直せばいいと、このLPを売却してしまったからだ。CDが廃盤になり、今もなお再発されないことなど知るすべもなく。そのため、このCDは現在も高値で取引されているのだが、今回破格値で入手できたことは喜ばしい。輸入盤で、国内盤とはジャケがずいぶん違うが、盤の状態は極めて良好だ。

 来年は、ヴェルディ、そしてワーグナーの生誕200年。ワーグナーは、ルパージュ演出の『指環』の「ジークフリート」、「神々の黄昏」が秋に放映されるのが楽しみだ。ヴェルディに関しては、『オテロ』のクライバー盤の正規DVDが出るのを待っている。
 

by Abend5522 | 2012-08-28 21:17 | クラシック音楽
2012年 08月 25日

天神さんへ

 25日は天神さん(北野天満宮)の縁日。今日も猛暑なれど、初詣以来出かけてみた。
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 参道を一ノ鳥居→楼門→三光門(重文)→社殿(国宝)と進む。この暑い中、外人さんが多い。

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 天神さんといえば、その御使である丑。境内には幾つもの丑が配置されているが、三光門から社殿への参道の両脇にある画像の二頭を撫でるのが慣わしだ。自分の体で具合の悪い、あるいは良くなって欲しい部位を撫でる。私は、何時も頭と後ろ足の付け根を撫でる。

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 休憩所でもある絵馬所には、三十六歌仙を描いたものや、古くから奉納されたものが掛けられている。二枚目は絵馬掛所で、受験シーズンが近づくに連れて、合格祈願の絵馬が多く掛けられる。天神さん、すなわち菅原道真は崇徳院、平将門とともに日本三大怨霊なのだが、学問の神様とばかり認識されているのは如何なものかと何時も思っている。
 三枚目は絵馬掛所周辺の鳥居だが、配置のされ方が何となくおもしろい。

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 上は社殿の横塀。時代劇の撮影、特にTVの必殺シリーズでは定番のロケ場だ。
 下は社殿の背面にある御后三柱。道真の祖神、祖父、父が祀られている。背面だから北向きなのだが、明治以前には佛舎利が祀られていたという。社殿までごった返していた人々も、ここにはほとんど来ない。

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 社殿裏手の風景。一枚目の手水は、井戸が渇水のため水がなかった。
 二枚目は文子(あやこ)天満宮。天神さんは、北野に祀るべしという道真のお告げを受けた巫女の多治比文子が、ここに道真を祀ったことに始まる。
 三枚目、四枚目は竈社。台所の神とされているが、火の神という方が正解だ。木に目が奪われた。

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 東門の傍にある長五郎餅の出店。初詣や縁日などの時だけ、近くにある本店がここに茶店を出す。長五郎餅は、天正年間に豊臣秀吉が北野大茶会を催した時の菓子として用いられたものだ。初詣の時には抹茶付きで一服するが、今日は入らなかった。東門から出て、露店の並びを見ながら裏通りを歩いた。

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 すぐに平野神社へ着く。桜と観月の名所で、初詣はここへも行く。加えて、ここは私の両親が結婚式を挙げたところでもある。
 下の画像は西大路から見たもので、手前はパン屋のブランジェリー・ブリアン。長五郎餅はパスしたので、ここでパンを、とはならなかった。我慢したのではなく、私は昼飯をほとんど食べないからだ。

by Abend5522 | 2012-08-25 22:25 | 京都
2012年 08月 24日

画像と映像とスコットランド

 新調したクロスバイクの乗り初めとて、向日市まで往復約30kmを走った翌日が人間ドックだった。当日の朝、ドック用に採尿した時に鈍痛がした。ドックが終わり、同じビル内にあるかかりつけの泌尿器科で何時ものように検尿。そして診察で主治医が開口一番、「えらい血が出てるわ」ということで、CTと膀胱内視鏡検査をすることになり、今日の午前中に行って来た(人間ドックの結果にも尿潜血とあった)。

 まずはCTで、5分で終わった。9年前、椎間板ヘルニアをやった時にもここでMRIをしたが、筒の中で道路工事のような音を聞きながらの30分に比べると遥かに楽だ。画像が出来るまで90分。
 次に、泌尿器科の階へ行って膀胱内視鏡。痛みはほとんどない検査で、モニターに映った我が膀胱の鮮明な映像を"鑑賞”した。10分ほどで終わった。異常なし。
 CTの画像を受け取るまで時間があったので自転車でブラブラし、画像を受け取って再度泌尿器科へ。CTも、前からある腎臓や胆嚢の小さな石以外異常なし。画像は患者用にとCD-Rもくれた。帰ってPCで見たが、なるほど、石がある部位だけ小さな白点になっている。このCD-R、けっこう凝ったラベルが貼ってあるが、さすがにジャケはない。そこで、ジャケ画像は音楽のもので。
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 先日、この思わぬCDを入手した。リンデンベルク/ハンブルクPOによるメンデルスゾーンの『スコットランド』だ。ショルツ/ロンドンSOの『イタリア』とのカップリング。Cantus Classicsという、ハンブルクのメーカーが出したメンデルスゾーン・エディションの一枚のようなのだが、このメーカーの名を知ったのも初めてならば、リンデンベルクがハンブルクPOを振った録音があるのも初めて知った。1970年の録音で、リンデンベルクが亡くなる3年前だ。

 『スコットランド』を聴くのは久しぶりだ。録音は少しこもり気味だが、演奏は素晴らしい。地味な音のオケを使ってエレガントな味わいを出すリンデンベルクの特徴が、この演奏にもよく表れている。若い頃なら面白くない演奏と切り捨ててしまっただろうが、今ではこういう演奏が心に染みる。淡々たる流れに一味添えてあるのがいい。

 リンデンベルクは、どれほどの録音を残しているのだろう。ウィーン・フォルクスオパーOとのベートーヴェンやブラームスを聴いた辺りから、頻りにそう思うようになった。フランスのオケとの録音はLPで何種類か入手可能だが、高価なものが多く、まだ入手していない。CDでは、ウィーン室内&ウィーン少年合唱団員を振ったモーツァルトの『バスティアンとバスティエンヌ』、そして今年が生誕150年とて出されたドビュッシー・エディションの中に、スゼー&パリ音楽院Oとの歌曲集が収められている。両方とも1950年代のモノラル録音。買うなら、まずはモーツァルトだろう。

 このジャケには、"EDUARD von LINDENBERG"とある。ルーマニア人であるリンデンベルクは"von"の称号を持っていたのだろうか、それとも「リンデンベルクのエドゥアルトさん」ぐらいの意で使っているのだろうか。
 

by Abend5522 | 2012-08-24 19:35 | クラシック音楽
2012年 08月 19日

お地蔵さんゆえではないが

 昨日、今日はお地蔵さん(地蔵盆)だった。昨年は町内の組長だったので実施に関わったが、今年は特に何もする必要がなかったので、雷雨で走れなかった昨日のうらみを晴らすべく出かけた。

 南と北へは行ったので、今日は東へ走った。東大路三条から、三条通を山科へ。
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 粟田口で小雨が降って来た。リュックにポンチョが入れてあるが、被るほどでもない。きつくなったら断念し、京極でレコード屋めぐりでもしようかと思ったが、すぐにやんでカンカン照りとなった。上の画像は蹴上の浄水場。ここから少し先の九条山までの登りが結構しんどいが、後は下りと平坦道だ。下の画像は外環三条から見た山科駅方向で、手前の建物は大丸山科店。山科が東山区から分離して山科区になったのは、私が大学生の時だった。JR、京阪、地下鉄の駅が至近距離に並び、JRの駅から少し行くと疎水沿いの風情ある道となる。

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 更に進んで、滋賀との境まで来た。浜大津まで8kmぐらいなので、琵琶湖を見に行こうと考えたのだが、大津方向に怪しげな雲が・・・。結局雨にはならなかったのだが、琵琶湖は後日ということにして国道1号を少し戻り、地下鉄東西線の上を南下した。すぐに山科区から伏見区となる。

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 名神高速のガードを過ぎる。 
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 醍醐のパセオを通る。
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 そして、地下鉄六地蔵前に到着。近鉄百貨店momoと、休憩した広場のベンチ。近くにブック・オフがあったので覗いて見たが、クラシックの中古CDに目ぼしいものはなかった。
 今日がお地蔵さんだからというわけではないのに来た六地蔵は、宇治市との境界だ。ゆえに、地下鉄東西線はここが終点である。時刻が早ければ宇治、そして奈良まで行ったかも知れないが、道をかえて帰路に着いた。

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 小栗栖街道を北上し、山科川に架かる大元橋を渡って川沿いの道を走る。画像のとおり、のどかで走りやすい道だ。勧修寺までこの道を走り、そこから名神高速のガードを抜け、結構しんどい坂を登った。

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 坂を登ると、国道1号の川田口に出る。上の画像は、そこから山科方向を見たもの。中の画像は、それから更にしんどい目に会わせてくれた登り坂。画像でははっきりしないが、気温表示は35度だった。
 坂を登り切ると、下の画像の東山隧道にさしかかる。清滝隧道とともに、京都の「心霊トンネル」として有名な所だ。山科方向用の右側のトンネルの横には、歩行者、自転車専用の旧道の隧道がある。ここも心霊スポットとして有名で、本来ならこちらを抜けるべきなのだが、坂を登るのに必死だったので渡るのを忘れてしまった。交通量が多いので危険なのだが、250mほどのトンネルなので左壁ギリギリのところを走って抜けた。
 この隧道が心霊スポットとされるのは、トンネルの上に焼き場(中央斎場。亡父の火葬もそこで行った)があり、また近くには平安期から江戸末期までの処刑場であった粟田口があることによる(明智光秀やキリシタンらがそこで処刑されている)。しかし、同じく近くの夜景スポットである将軍塚までもが心霊スポットとされているのには失笑してしまう。桓武天皇が、王城鎮護のために坂上田村麻呂を模した武人像を配したのが将軍塚だからである。

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 隧道を抜けた後は渋谷通(「渋谷」は「しぶや」ではなく、「しるたに」と読む)を下って東大路の馬町に出た。戦争末期、米軍は京都を原爆投下のAA級目標にしており、そのために空襲を禁じていたのだが、馬町は西陣などとともに空襲を受け、100人近い死傷者が出た所だ。
 ちょっと回り道をして帰ったので、おまけの画像を二枚。上の画像は府警中京署。市バスの壬生車庫跡に建てられた和風警察署だ。そこから少し上がると、下の画像にある千本三条に着く。手前が立命館の朱雀キャンパスで、その向こうが佛教大学の二条キャンパス。立命と佛大が隣接している図が面白い。

 走行距離:37.3km / 実走時間:約4時間30分 / 消費カロリー:1.291kcal。
 

by Abend5522 | 2012-08-19 22:51 | 京都
2012年 08月 17日

送り火と山の涼

 五山の送り火が終わった。家の前から大文字が見えるので、合掌した。

 京都の最高気温は35.6度。涼を求めて、今日は北へ走った。
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 賀茂川の土堤を北上し、上賀茂を越えてしばらく行くと柊野ダム。川遊びをする家族連れで賑わっている。ここも時代劇の撮影でよく使われるが、特撮映画ファンには『大魔神怒る』で使われたところとして有名だ。大魔神が湖水を真っ二つに割って進むシーンで水が左右から滝のごとく流れ落ちるシーンは、このダムの水が合成されたものだと記憶している。

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 賀茂川に沿って府道36号から61号を進むと、緩やか時々少し急な勾配の長い登坂となる。ロードバイクに乗った若者はスイスイと登って行くが、クロスバイクのおっさんである私は息ハアハア&汗ダラダラ。画像は休憩した所にあった東海自然歩道の道しるべと、次に休憩した雲ヶ畑の蛍ヶ谷キャンプ場での自転車。汗でズクズクの帽子と、背負って走ったポール・スミスの3wayバッグを乾かした。残り少ないお茶が侘しい。

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 雲ヶ畑に入ると、賀茂川もこのように小さな清流となる。

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 「もくもく雲ヶ畑バス」の出合橋停留所とレトロなポスト。雲ヶ畑地域には長らく京都バスが走っていたが、今年の3月いっぱいで廃止された。その代替として、雲ヶ畑の自治振興会がヤサカ自動車のジャンボタクシーを車両として4月から運営を始めた。地下鉄北大路駅から岩屋橋まで、一日2往復
 自転車越しに見た雲ヶ畑の集落には、古い家があちこちに望める。銭形の石札がユニークな高雲禅寺の参道口と、大切にされていることが鳥居からうかがえる式内厳島神社の画像の間にあるのが、雲ヶ畑小・中学校。入学者が途絶えてしまったため、この3月いっぱいで廃校になった。最後の卒業生は、中学、高校までかなりの距離を通わねばならない。そんな雲ケ畑は京都市北区なのである

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 雲ヶ畑地域を更に進み、岩屋橋に到着。案内板の画像にあるように、ここは賀茂川の源流地帯だ。
 自転車の後ろに「岩屋山」の石札。ここから1kmの参道を登ると、真言宗系の修験道場である岩屋山志明院へと通じる。自転車では行けないし、体力もだいぶん消耗しているので参拝はしなかった。
 画像の奥の方に見える鳥居は惟高神社。平安朝前期の、文徳天皇の皇子であった惟高親王が祀られている。聡明であった惟高親王は皇位を継承する予定であったが、藤原良房の娘を母とする惟仁親王、すなわち清和天皇が四番目の皇子として生まれたために追われた悲劇の親王だ。惟高親王の生母は紀氏の娘であり、母方の家格が将来を決定した平安朝ならではのことで、光源氏の悲劇にも通じるものがある。
 三枚目の画像は料理旅館の洛雲荘。夏は川床での川魚料理、冬はぼたん鍋で有名な店だ。ここの前を通って道はまだまだ続くのだが、林道を経て登山道となるため、ここが雲ヶ畑地域の終点と見るのが普通である。

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 岩屋橋で腰を下ろして休憩後、来た道を戻る。途中、画像の道しるべのように持越峠への分岐点がある。周山街道の杉坂に通じる峠で、次の画像にある持越橋を渡ると峠への道に入る。ロードバイク乗りにはよく知られた激坂峠で、今日のところは「持ち越し」て、ひたすら来た道を下った。
 下りながら、ある程度の勾配を持つ長い坂を自転車で登った者なら、誰でも経験する錯覚に気づいた。どういうことかというと、やや急勾配の坂を一定時間登り続けると、緩やかな勾配を平坦道、あるいは下り坂と体が錯覚してしまうのだ。同じ道を帰りに下ると、途中に平坦道や登り坂など殆ど無いことによって、この錯覚に気づくわけだ。



 廃止された京都バスからの映像がYouTubeにあった。雲ヶ畑地域への入口である山幸橋から岩屋橋までの、二部に分かれている映像だ。

走行距離:33.8km。実走時間:約4時間。
平均速度:15.9km/h。最高速度44.1km/h。
消費カロリー:1.170kcal。

by Abend5522 | 2012-08-17 00:00 | 京都
2012年 08月 15日

川と橋の午後

 終戦67年。TVで追悼式を観て黙祷した後、曇ってはいるが降り出しそうにはないので、自転車で外出した。
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 帰りしなに撮った画像だが、行きしなもここを通った、上鳥羽の高瀬川沿いの道。20年ほど前に買った、ベルギーのHEDGRENのリュックを背負って走った。

 この道をしばらく南下すると、下鳥羽の辺りで高瀬川は鴨川と合流する。そして、更に行くと伏見区の横大路で鴨川は桂川と合流する。ここから、道を桂川サイクリングロードに取った。
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 羽束師橋、宮前橋を過ぎて、八幡市に到着。ジャンクションや京阪の鉄橋が見渡せる。
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 桂川サイクリングロード(嵐山八幡木津・京都府自転車道)は、嵐山から木津川の泉大橋までの約45kmを結ぶ自転車、歩行者専用道だが、画像にある八幡の御幸橋がその中間点に当たる。朝廷から石清水八幡宮への勅使が通ったのが、橋の名の由来となっている。橋は宇治川と木津川の両方に架かって、それに桂川を加えた三川がここで合流して淀川となる。橋のすぐ横にある木津川の看板画像にもあるように、ここから37kmで水は大阪湾へと流れ込む。

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 サイクリングロードを木津川沿いに進む。画像にある案内板は木津川大橋のところにあるもので、さすがに終点の泉大橋までは行けない。帰ったら夜遅くになってしまう。そこで、次の上津屋橋まで行って帰ることにした。

 上津屋橋は「こうづやばし」と読むが、この正式名称よりも、時代劇の撮影でお馴染みの「流れ橋」の名の方が通っている。画像は、此岸、中間地点(自転車は押して歩かねばならない)、対岸の三枚。「流れ橋」の名の通り、昔から水害で何度も流されているために、流されても回収、復旧しやすいように橋板が繋げられているわけだ。昨日の局地的豪雨で宇治、城陽地域、そして八幡までが大きな被害を受けたが、橋は大丈夫だったようだ。

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 流れ橋を渡ってから川沿いに戻り、国道1号に入った。Uターンラッシュはまだのようで走りやすかった。画像は、久御山町と京都市の境界。気温が30度あるが、曇り空に少々強めの風が吹いていたのでバテることはなかった。宇治川の橋を越え、横大路から外環経由でサイクリングロードの羽束師橋。後は行きしなと同じ道を通り、十条新千本下ルにあるBBGオーディオに立ち寄った。いつものようにジャズが流れる、エアコンのよく効いた店内。クラシックの中古CDを三枚買った。

 走行距離:44.5km(京都~大阪と同じぐらい)。実走時間:約4時間。
 平均速度:16.0km/h。最高速度:32.7km/h。消費カロリー:約1.400kcal。
 


 

by Abend5522 | 2012-08-15 22:39 | 日々の事
2012年 08月 14日

お盆のこと

 私の生活には帰省というものがない。北白川に住む母の家までは自転車で30分で行ける。妻の実家は大阪市内だから、これも時間はさしてかからない。帰省すべき田舎を持たないのが、私の人生だ。

 お盆の入りであった昨日、家族で五条坂の大谷さん、すなわち大谷本廟へお墓参りに行った。墓地には母方のお墓、無量寿堂、すなわちお墓のマンションには父方の菩提寺の佛壇付納骨所がある。
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 無量寿堂の喫煙所で一服しながら撮った風景。山科へ抜ける国道1号が真横を通っている。お盆の間は、お西(西本願寺)と京都駅からのシャトルバスがこの真下に着くようになっている。私はいつもタクシーで行くのだが、五条通は渋滞し、五条大橋を越えた辺りで降り、そこから歩くことが多い。
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 写真集『京都百年パノラマ館』にある、明治時代の五条坂の彩色写真。大谷さんの横から清水寺へ上がる道と思われるが、隔世の感がする。

 お盆、すなわち盂蘭盆の行事は、中国で作られた偽経である『佛説盂蘭盆経』に基づいている。中国の祖霊供養の習俗が反映されているのだが、「盂蘭盆」という語自体はサンスクリット語"ullambana"の音写である。「逆さ吊りにされた苦しみ」という語源を有し、亡くなったばかりの人間が宙をさ迷う苦しみを表すとされているが、釈迦の弟子であるモッガラーナ(目連)が、亡くなって餓鬼道に堕ちた母親に飲食物を施す(施餓鬼)というストーリーの『盂蘭盆経』にそのような表現はなく、後から無理にこじつけた解釈だと思う。

 宗教学の進展に伴い、"ullambana"は古代イラン語で「霊魂」を意味する"urvan"との関係性、すなわちゾロアスター教とのそれが提唱されている。迎え火や送り火の習俗から見ても、私はこの説の方が正しいと思っている。

 

by Abend5522 | 2012-08-14 16:37 | 佛教
2012年 08月 13日

今読んでいる本

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 親鸞の思想は画期的なものだが、それは近代以降に『歎異抄』によって初めて一般の知るところとなった。『歎異抄』は、室町期に本願寺蓮如が門外不出の書としてから長く封印されていたからだ。大学時代の師が親鸞の高弟の直系子孫であり、浄土教全般について多くを学んだが、同時に、惜しくも亡くなった吉本隆明の親鸞論からも多大の示唆を受けた。
 本書は親鸞の思想を様々な面から捉えたもので、平易に書かれている。書かれている事柄は既知のものばかりだが、ジャーナリストから日本宗教思想史の専門家となった筆者の語り口には好感が持てる一冊だ。

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 ケッヘルに関する本は、今まで読んだことがなかったので新鮮だ。彼が鉱物や植物を中心としたアマチュア博物学者であったことは興味深い。ここで培った収集と分類への熱意が、モーツァルトの作品整理にどう活かされて行くのか、未読のページが楽しみである。

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 森鴎外が音楽好きであったことをブログに書いたが、本書では鴎外の他に幸田露伴、島崎藤村、夏目漱石、寺田寅彦、永井荷風の、クラシック音楽との関わりが描かれている。現在、二人の妹が草創期の日本で音楽家となった幸田露伴の章を読んでいる最中である。
 本書は、同じ中公新書の内藤高『明治の音』、そしてsawyer様が取り上げておられた渡辺裕『歌う国民』と一緒に密林から古本で、大変お買い得であった。

by Abend5522 | 2012-08-13 00:52 |
2012年 08月 13日

27年忌

 12日は、日航ジャンボ機JAL123便墜落事故より27年であった。


 この大惨事があった1985年は、私が就職した年度である。当日の日記に、私はこう書いている。

 葉月十二日 月曜 天曇
 信州に於て、東京より大阪へ向かいし日航機が墜落す。乗員五百余名は絶望的なり。斯かる時、国民への速やかなる情報伝達と言う名の下に、心痛の家族、知人にカメラ、マイクを向けるマスコミ屋の無神経さには腹立ちを覚ゆるのみ。

 あれから27年、多数の人々とともに坂本九も亡くなった。いつも全日空機で移動していた九ちゃんは、この日搭乗券を確保出来ず、仕方なく乗ったのがJAL123便だったという。

 この事故から去ること4年の1981年8月には、作家の向田邦子が台湾での航空機墜落事故で亡くなった。その時、私は京阪特急のテレビカーに乗っていて、ニュースでこの事態を知った。TVドラマ化された向田邦子原作の『阿修羅のごとく』で、私はメインタイトルに使われていたトルコの軍楽『ジェッディン・デデン』が好きになった。

 1985年。その約4年後に昭和が終わり、約10年後に阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件が起こることなど夢想だにしなかった20代の私がいた。そして、あと3日で8月15日が来て、4日で京都は五山の送り火を迎える。

 合掌

by Abend5522 | 2012-08-13 00:04 | 日々の事