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Abendの憂我な部屋

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2012年 07月 31日

物憂さや 光も影も 切れ目なく

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 「日もいと長きにつれづれなれば」(『源氏物語』 若紫)の光源氏ではないが、日だけは長いので、仕事帰りに京見峠の頂上目前まで行った。目前までというのは、ここで自転車のバッテリー残量が危うくなってしまったからだ。北山杉の木の間から、陽光が「あんた、早う往にや」と上から目線で哀れんでくれている。

 そんな陽も落ちて、ハリー・ローレンのアルバムを聴いた。レンタル店でジャケ買いならぬジャケ借りをした一枚。ジャズのコーナーを物色していて、キュート&セクシーなルックスだけで借りた。まさしく物色、いや色物か。

 ジャズに疎い私でも知っているナンバーが数曲入っている。『青い影』や『枯葉』とか(ジャズのナンバーとちゃうんちゃう?)、『サマー・タイム』、グランパ・エリオットがCMで歌っていた『The Dock of the Bay』、そして『Perhaps,Perhaps,Perhaps』(これ、ラテン・ナンバーの名曲『キサス、キサス・キサス』です)等、全17曲。

 ローレンは、声もキュート&セクシーだった。どのナンバーもスローなアレンジで、一本調子ともいえる歌い方だが、それが却って物憂さを相続させる。円山公園に桜が満開の時に行った、祇園切通しのBAR & JAZZ
『Birdland』で聴きたくなるような物憂さだ。行った時はちょうどウィーク・エンドで、グランド・ピアノでの生演奏を、ピアノを囲む席で聴きつつ、樽出しスコッチの原酒をストレートで堪能した。

 彼女と仲間たちの物憂い演奏は、あの北山杉を照らしていた陽光にも合うかも知れない。真夏の夕方の物憂さは、夜に至ってもその熱を残しているのだから。

 こんなことを、ふと思った。

by Abend5522 | 2012-07-31 00:34 | クラシック以外の音楽
2012年 07月 29日

長刀坂リベンジ


 昨日のブログのとおり、途中に長刀坂の山道を挟む府道136号を北嵯峨側から登ったものの、悪路ゆえに断念した。しかし、挑戦的というか自虐的というか、どうにも腹の虫が治まらず、今日は周山街道側からリベンジしてみた。

 今日も36度以上はあったに違いない炎天下、周山街道を北上して、平岡八幡のところから府道136号に入った。住宅街の激坂を何とか登り、長刀坂への入口に辿り着いた。
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 車が入って来られないための立札があるが、向こうに車が見える。あれは廃車で、何時からあるのか知らないが、捨てられているのである。あそこより奥は、車では通行不可能な「府道」。見るからに妖気漂う風景だが、怨霊都市京都に生まれ育った私には何の事もなし。
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 道はひたすら下りだった。画像にあるように、道の真ん中ほどがえぐられている。アシストをオフにし、小まめにブレーキをかけながら下って行くと、10分もしないうちに虫捕りにでも来たと思われる子供と出会ったので、もう抜けるなと思ったらすぐに後宇多帝陵の前に出た。

 地元野菜の自販機などを横目に見つつ、周山街道の起点である福王子まで行き、そこから少し北上して村上帝陵へ向かった。
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 参道へは自転車が入れないので、歩いて登った。石段が整備されているが、暑さとも相まって結構しんどかった。誰とも出会わないまま御陵に着いた。

 長刀坂リベンジは成功したが、山道の下り坂で21kgの我が自転車を制御するには結構力を使った。あれが舗装道路だったら、40km/時ぐらいのスピードで一気に下ったのだが。

by Abend5522 | 2012-07-29 23:04 | 京都
2012年 07月 29日

多彩 ブランデンブルク協奏曲


 
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 LP時代から親しんでいるのはレーデル盤。レーデル自身がフルートを吹いている指揮者参加型の演奏だ。独自の音色を聴かせるバルヒェットのヴァイオリンも魅力的。ソロ楽器が華麗な技を繰り広げるタイプではなく、キリッと引き締まった演奏で、第3番が一番好きな私の感性と波長が合っている。
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 レッパード盤。これも指揮者参加型で、レッパードがチェンバロを担当している。彼はヘンデルの研究者として有名だが、J.S.バッハの諸作品の演奏も素晴らしい。リコーダーを、33歳で亡くなったデイヴィッド・マンロウが吹いているのが魅力的だ。こちらもレーデル盤と同じく引き締まった演奏で、何度聴いても飽きない。
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 ゴールトベルク盤。彼自身が、オランダ室内Oを指揮しつつヴァイオリンを受け持っている。フルトヴェングラー時代のBPOでコンマスを務め、日本で亡くなったユダヤ系ヴァイオリニストだ。全体的にキビキビとした演奏だが、緩徐楽章ではロマンティックな表現も見せる。オランダ室内Oは、レーデルのミュンヘン・プロ・アルテやレッパードのイギリス室内Oに比べると技倆の点では及ばないが、ゴールトベルクとの信頼関係が強固なのか、求心力が非常に高い演奏と感じた。
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 リステンパルト盤。前三者とは対極に位置するゴージャスな演奏だ。ソリストも有名どころを配しているが、ザール室内Oの音自体が明るく華やかで、開放的である。特に、緩徐楽章での弦の美しさが素晴らしい。

 全曲盤は、他にマリナー/ASMF、アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス、ボッセ/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス・バッハ室内O盤を持っている。マリナー盤は、同じ英国の指揮者とはいえ、レッパードよりも華やかだ。ボッセは演奏に参加していないようだが、明るく柔らかい演奏だ。オケがライプツィヒ・ゲヴァントハウス室内Oだった1977年に、私は大阪でボッセが指揮した管弦楽組曲全曲のマチネー・コンサートを聴いている。同オケがトーマナ・コーアと来日した時の特別演奏会だった。
 アーノンクールは・・・やはりアーノンクールの世界としかいえない演奏だ。

 夜になっても涼しくならない。「嗚呼、ノン・クール」と駄洒落を呟いて終わりたい。

by Abend5522 | 2012-07-29 21:55 | クラシック音楽
2012年 07月 28日

自転車で北嵯峨へ

 夏は、一番暑い時間帯に自転車で走り回る。車やバイクの免許を持たない、今や絶滅危惧種ともいうべき私にとっては、片道数十km程度ならば自転車で移動する。

 私の自転車は、パナソニックのタフネスviviという電動アシスト車。2004年の2月に購入した、当時では最大容量のバッテリーを搭載した27インチで、重量は約21kgある。普通のママチャリが15kg前後、息子が乗っているロードバイクに至っては約9kgなので、それらに比べるとかなり重い。モーターがあるのだから当然なのだが、そのためにフレームも剛性のある重いものになっている。だから、最新の電動アシスト車でも重量はさほど変わらない。ただ、最近のものはチェーンがモーター経由ではないので、バッテリーが途中で切れても普通の自転車並みの軽快なペダリングが得られるのに対して、私の自転車のような古いタイプものはチェーンがモーターを経由しているために、途中でバッテリーが切れたらもう地獄である。7段のギアを一番軽くしても、ギアなしのママチャリより重くなる。勾配が10%以上になる激坂などでは悲惨そのもので、降りて約21kgの車体を押して歩くハメになる。2年前にバッテリーを新調したが、古いタイプのものゆえ既に減りが早くなっている。

 さて、いつものとおりペットボトルの水を自販機で買い、一条通を大覚寺門前から北上し、まずは後宇多帝の御陵を参拝した。
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 御陵の入口は府道136号なのだが、この道は変わっていて、山道である長刀坂を越えて国道162号、すなわち周山街道の平岡八幡の前に出る。越えてやろうと入っていったのだが、緩い坂をしばし登ると、突然として真ん中が深くえぐられた悪路となった。自転車を降り、押しながら更に登ったが、この状態がずっと続いているので降参し、引き返した。先日の大雨でこうなってしまったのだろうか、謎である。

 引き返してからは広沢池を周遊し、途中の休憩所で一服した。
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 向こうの山にある青い物はブルーシートのようで、崩れの補修でもやっているのだろうか。
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 一条通から見た広沢池。見る度に、平安朝人はよくもまあこんな池を造ったものだと感心する。
 上の画像だが、花の横に小さなお地蔵さんがあって、子供の霊が祀られているように思えた。一条通は車の往来が結構激しいところなので、何かいわくがあるのかも知れない。合掌した。


 

by Abend5522 | 2012-07-28 19:29 | 京都
2012年 07月 08日

☆ 私の愛聴盤 モーツァルト / 交響曲第41番『ジュピター』

 C-D-F-Eのジュピター音型は、41番より約100年後に初演されたヴェルディの『オテロ』第1幕にまで登場している(YouTubeの21:43参照)。1番の第2楽章以来、モーツァルトの人生の主調音となっているだけではなかったのだ(YouTubeの0:18参照)。


 クラリネット五重奏曲の冒頭E-Cis-B-Aも、ハ長調の近親調ではないイ長調であるにもかかわらず、ジュピター音型の鏡像のように聞こえるから不思議だ(YouTube参照)。

 終楽章には第1楽章のパッセージも再現されるが、それ以上に明確なのが『フィガロの結婚』序曲のそれである(YouTubeの0:43)。モーツァルトの常套句といってしまえばそれまでかも知れないが、私はそこに因縁めいたものを感じる。

 モーツァルトはJ.S.バッハの対位法に魅了され、研究したという。ジュピター音型の驚嘆すべき展開が織り成す終楽章は、それを物語っているといえるだろう。しかし、J.S.バッハの対位法と決定的に異なるのは、モーツァルトの「飛び跳ねる感覚」だ。これが、『フィガロの結婚』と重なる。そして、ジュピター音型とも。

 ジュピター音型が初めて登場した交響曲第1番、そして歌劇『フィガロの結婚』。両者を作曲した時のモーツァルトに共通しているのは「幸福感」だったのではないか。1番は8歳での作品。父レオポルトの言うがままに社交界で天才芸を見せていたとはいえ、8歳の彼には幸せな時だったと思う。そして、『フィガロの結婚』を作曲した時もまた、ウィーンの貴族層からの反発によって彼の地では成功といえなかったにせよ、啓蒙君主であったヨゼフ2世の理解や、プラハ、パリで公演での大成功による収入の安定を得たモーツァルトにとって、不幸より幸せが勝っていたことは確かだ。

 41番を聴くことは、終楽章を聴くことである。8歳の「幸福感」がこの上なく緻密に展開され、『フィガロの結婚』でのそれが再び飛び跳ねる。聴く者を魅惑するこの感覚をよく伝えてくれる演奏は、私の場合スイトナー/SKD盤である。
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 そして、コンヴィチュニー/ベルリン放送SO盤。
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 良質なモノラル盤で、冒頭一閃ザッハリッヒな演奏と思いきや、第3楽章の遅さには驚いた。コンヴィチュニーは舞曲としてのメヌエットを真面目に演奏しているのではないかと思った。終楽章は再びザッハリッヒなものになるが、それだけに第3楽章が大いに目立つ。私にとってこの曲の最高の演奏とはいえないが、ブラ4と同じく、体型だけではないコンヴィチュニーの幅の広さを聴けることに大きな意味がある。

 モーツァルトの三大交響曲においても、sawyer様、HABABI様御両兄から多くのご教示をいただきました。HABABI様には、41番についてお書きになられたら、次のお題をいただきたく存じます。お受けいただければ幸いです。
 

by Abend5522 | 2012-07-08 20:44 | クラシック音楽