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Abendの憂我な部屋

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2012年 05月 31日

☆ 私の愛聴盤 ブラームス / 交響曲第1番

 ケンペ/BPOの中古LPで聴いたのが最初だった。4番、2番を先に聴いていたので、1番には何かぎこちなさを抱いた。今から思えば、ベートーヴェンの後継者たらんとするブラームスの気負いがそう感じられたのだろう。

 キングのGTシリーズでコンヴィチュニー盤も早くから持っていたが、世界の名曲を詰め込みにしたギンギンの音質がこの演奏の第一印象を悪くしてしまい、後に1番のみが収録されたLPを中古で買うまで、コンヴィチュニー盤からは遠ざかっていた。

 そんな時、今も愛聴しているベイヌム/コンセルトヘボウのモノラル盤に出会った。
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 解像度の高い英デッカの優秀な録音が、1951年のコンセルトヘボウの音を明瞭に捉えている。第一楽章の序奏部から引き込まれた。早めのテンポで、特にシャープな弦が印象深く、運指の擦れ音まで聴こえて来る。終楽章のホルンは大人しいが、主題への決然たる入り方が素晴らしい。ベイヌムはその後に同じくコンセルトヘボウとステレオ録音をしており、これもLPを買ったが期待外れだった。57歳で亡くなったベイヌムの最晩年の録音なのだが、そこにはモノラル盤の切れ味はなくなっている。

 ベイヌム盤とは全く異なる趣を持つ演奏としてよく聴くのは、リンデンベルク/北西ドイツPO盤である。
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 北西ドイツPOとの録音では、ベートーヴェンよりブラームスの方が好きだ。リンデンベルクは明晰判明さが持ち味の指揮者だが、冷たい印象は受けない。この地味なオケにエレガントな味付けをすることに成功している。金管とティンパニーが強調されているが、トーンは柔らかい。1番の独自な演奏としてお勧めである。

 さて、コンヴィチュニー盤である。sawyer様のブログで以前話題になったもうひとつのCD-R盤もその後入手したが、やはりレギュラー盤を挙げたい。
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 ベイヌム盤が鋭く斬り込んで行く演奏であるのに対して、コンヴィチュニー盤は剛柔自在に歩む演奏だといえる。剛毅と繊細の調和、絶妙な間の取り方は、コンヴィチュニーの頭脳が優れていたことの証しで、伝統が継承ではなく更新であることがよくわかる。
 先にGTシリーズでこの演奏の第一印象が悪かったと書いたが、それでもなお私にレギュラー盤を中古LPで買わせ、そしてCDで今も愛聴せしめているのは、部分的には終楽章のホルンである。あのホルンを凌駕する演奏を私は知らない。

 誉れ高いミュンシュ/パリO盤を挙げなかったのは、CDのリマスタリングに原因がある。この演奏を、私はLP時代に聴かなかった。中古LPもまだ見つけていないので、後日に期したいと思う。
 

by Abend5522 | 2012-05-31 18:50 | クラシック音楽
2012年 05月 20日

☆ 私の愛聴盤 ベートーヴェン / 交響曲第9番『合唱つき』

 学僧として真宗教学に大きな足跡を残した金子大榮が、高齢にもかかわらず、テレビで放映された第九をまんじりともせずに聴いたというエピソードがある。真宗・浄土真宗は、英訳では"True Pure Land School"となるのだが、金子大榮の心象には"True Pure Land"があったのかも知れない。

 第九の演奏で長い縁となっているのは、モントゥー盤である。キングの廉価LP⇒リハーサル風景入りの2枚組中古LP⇒第九のみのCD⇒リハーサル風景と「ラ・マルセイエーズ」が入った2枚組CDという長い付き合いだ。ロンドンSOの低弦を強調しつつ、高雅な演奏を聴かせてくれる。ウォードのエレガントなバリトンや、どこか間の抜けた声のヴィッカーズが面白いが。
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 コンヴィチュニー/LGO盤は、録音レンジの狭さとライプツィヒ放送choの合唱の薄さが気になる一方で、若きアダムの卓越した歌唱と、テノールが後にトマス・カントールとなるロッチュであるのが面白い。凡そ、第九のテノールで宗教音楽専門のリリコ・テナーを使ったのは、この盤だけではなかろうか。

 シューリヒト/パリ音楽院O盤のフリックは、ワーグナー歌手らしい幅の大きい歌唱が素晴らしいのだが、エリザベート・ブラッスールchoはフランスの合唱団なので、"muß"の発音などにはLP時代から違和感があった。

 フルヴェンにも一言しておくと、フィルハーモニアOとのルツェルン盤が一番いい。オーボエとトランペットが前に出る明晰なフィルハーモニアの音に意識を奪われがちだが、全編に「静かな崩壊」が漂っている。エーデルマンのバリトンは相変わらず鼻声だが、バイロイト盤よりも良くなっている。

 歌手の布陣では、若き日のドミンゴとミルンズを配したラインスドルフ盤がユニークだ。ドミンゴの歌唱は凡庸だが、ミルンズのバリトンが素晴らしい。だが、そのミルンズもマリナー盤のサミュエル・ラミーにはかなわない。私が聴いた中で最高の第九のバリトンはラミーである。
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 テノールにも美声のアライサを配し、コーラスもASMFの合唱団で、指揮者との良好な関係がよく表されている。

 歌手の超弩級布陣といえば、S=イッセルシュテット/VPO盤だろう。サザーランド、ホーン、キング、タルヴェラといった凄い面々であるが、それを見事に統率するS=イッセルシュテットも只の「巨匠」ではない。
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 マゼール/クリーヴランドO盤も、オブラスツォワ、ヴィッカーズ、タルヴェラという弩級の布陣だが、ソプラノが可憐なルチア・ポップなのがアンバランスだ。メッツォ・ソプラノのオブラスツォワに食われている。S=イッセルシュテット盤でのホーンもオブラスツォワに比肩するパワーの持ち主だが、パワフル・ソプラノのサザーランドとの間にバランスがよくとれている。

 第九については話が尽きないが、これで打ち止めにしておきたい。

by Abend5522 | 2012-05-20 01:38 | クラシック音楽
2012年 05月 19日

哀悼 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

 齢86。誕生日を10日後に遺しての逝去。

 フルトヴェングラー/フィルハーモニアOと組んだマーラーの『さすらう若人の歌』と、フリッチャイ/BPOとの第九が、F=ディースカウの声を知った最初だった。そして1977年4月25日、大阪フェスティヴァルホールで『冬の旅』を聴いた。ピアノはサヴァリッシュであった。

 F=ディースカウといえばドイツ・リートなのだろうが、ヘルマン・プライやゲルハルト・ヒュッシュが歌うリートを愛する私にとって、彼はオペラ、宗教音楽の偉大な歌手として輝いている。

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 コンヴィチュニー/ベルリン国立歌劇場Oとの『さまよえるオランダ人』でのタイトル・ロール、『タンホイザー』でのフォン・エッシェンバッハは、ドイツ・オペラにおける彼の実力を遺憾なく発揮したものである。

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 クーベリック/スカラ座Oとの『リゴレット』でのタイトル・ロール、バルビローリ/ニュー・フィルハーモニアOとの『オテロ』でのイァーゴは、イタリア・オペラにおける彼の豊かな表現力を聴かせてくれる。

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 J.S.バッハ/カンタータ BWV106・4・78のリヒター/ミュンヘン・バッハO盤。私が最も好きなBWV4『キリストは死の縄目につながれたり』はコラール・カンタータの名曲で、バスのみのソロをF=ディースカウが無比の迫力を以て歌い上げている。

 空前絶後の声を持った歌手は5人いると思う。ソプラノのカラス、メッツォ・ソプラノのコッソット、テノールのデル・モナコ、バリトンのF=ディースカウ、バスのギャウロフである。F=ディースカウが鬼籍に入った今、健在なのはコッソットだけになってしまった。

 哀悼の意を込めて、『オテロ』第2幕でF=ディースカウが歌うイァーゴのクレド「無慈悲な神の命ずるままに」を聴いた。"La morte e il nulla. E vecchia fola il Ciel."(死とは、無だ。天国など、古臭い迷信さ)で終わるこのナンバーは、死を悼むには不謹慎なものかも知れない。だが、我々が死を悼み、悲泣し、恐怖するのは、死が「亡くなる=無くなる」ことに因るからではないのだろうか。


 
 

by Abend5522 | 2012-05-19 00:44 | クラシック音楽
2012年 05月 17日

文机に 楽の音の箱 小さかり

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 文机は、高校に入学した時に亡父が買ってくれたものだ。もう40年間使っている。

 奥にあるのは、creativeのSound BLASTER Digital Music Premium HD。PCとアンプのラインに接続してある。再生リダイレクト機能があるので、PCにすぐ録音できる。音質もよく、多様なイコライジングが可能だ。私は圧縮するのが嫌いなので、いつもWAVEファイルにしている。

 手前のは、オークションで購入したヘッドホン・アダプタ。出品者の自作品である。アンプのSP端子に接続するもので、実によく出来ている。

 ヘッドホンで聴く場合、アンプのヘッドホン端子を使うか、ヘッドホンアンプにプレーヤーやデッキを接続するのが普通だろう。昔のアンプのヘッドホン端子はSP出力を減衰させて出力させていたが、比較的新しいものにはヘッドホンアンプが内臓されている。しかし、内臓ヘッドホンアンプの質を上げようとすれば、単体のヘッドホンアンプと同じぐらいのコストがかかり、必然的にアンプ自体も高額となる。そして、現在では一部の高級アンプ以外にはPHONO端子の無いものが多い。これは、単体のヘッドホンアンプなら尚更のことであり、かつこちら側も高額な機材が多い。

 ヘッドホンの独立宣言をしたのはSTAXだ。STAXも昔はヘッドホン・アダプタを発売していた。イヤー・スピーカーと銘打っているのは、これに由来するのではないのだろうか。ならば、この黒く小さなアダプタに接続されたヘッドホンは、ダイナミック型イヤー・スピーカーといってもいいだろう。これを製作してくれた出品者には、心から敬意を表したい。

 アダプタとアンプは、300円/mぐらいのSPケーブルで接続してある。乗っているのは、オーテクの普通のスタビライザーである。

 

by Abend5522 | 2012-05-17 22:02 | オーディオ・映像・機材
2012年 05月 15日

40年

 沖縄の返還明日に迫りけり
           日本の前途に幸あらんを願う

 1972年5月14日(日)の日記に、中学生だった私はこのような短歌まがいを書いている。あれから40年。

 沖縄はおろか、九州へも行ったことのない私だが、沖縄の音楽には心惹かれるものがある。

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 これは唄と三線による沖縄民謡集で、16曲が収録されている。1991年発売の一枚。

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 こちらは、二胡、ベース、パーカッション、シンセのコラボによるもので、14曲が収録されている。2003年発売の一枚。

 唄の有無はともかくとして、撥弦楽器である三線と擦弦楽器である二胡との違いが面白い。日本では撥弦楽器が発達したのだが、琵琶、三線、三味線などは語り物や歌舞の伴奏に使われるのが主で、琴や筝のように早くから独奏楽器となったものとは異なっている。ウクレレやマンドリンが日本でよく受け入れられたのも、琵琶、三線、三味線などの伝統があったからかも知れない。

 管楽器は、横笛の方が一般化した。篳篥などの縦笛や、笙のような和音楽器は、雅楽の世界で継承されているが、一般化してはいない。尺八は縦笛ではないかという意見が当然出るだろうが、若き日のエッシェンバッハがピアニストとして来日した際、尺八の演奏を聴いて「これは打楽器のようだ」と言い、奏者がその炯眼に恐れ入ったというエピソードが、野口幸助の『そなた こなた へんろちょう』に書かれている。

 外は雨。葵祭は明日に順延された。小・中学校時代は下鴨に住んでいたので、葵祭の日は学校が半ドンになった。今はもうそういうことはあるまい。歳月の流れをひしひしと感じる。

by Abend5522 | 2012-05-15 18:29 | クラシック以外の音楽
2012年 05月 12日

オスティナートの魅力

 同じ音型を反復するオスティナートはクラシックでもお馴染みだが、映画やTVドラマのメイン・タイトルに使われても大きな効果を持つ。

 まずは、映画『遥かなる青い海』(原題"OCEANO"。1971年。伊)のメイン・タイトル。作曲はエンニオ・モリコーネ。中学時代に学校の団体鑑賞で観た映画で、メイン・タイトルに感動して17cmのサントラ盤を買った。数年前にCDを入手できた時は大変うれしかった。

 モリコーネは多彩な楽曲を作る才人だが、極めて単純な旋律のオスティナートによるこの曲は、土を求めてポリネシアの海を一人行く主人公タナイの目に映った風景と彼の心象をよく表している。


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 次は、映画『哀しみの終わるとき』(原題"Ça n'arrive qu'aux autres"。1971年。仏)のメイン・タイトル。作曲と歌唱はミシェル・ポルナレフ。

 この映画は観たことがない。レンタル店にもなく、機会がないままだ。では、この曲をなぜ知ったかというと、1980年代のTV番組『タモリ倶楽部』を毎週見ていて、その中に「愛のさざなみ」という連続メロドラマ風笑劇のコーナーがあり、そのテーマにこの曲のインストゥルメンタルによる演奏が使われていたからである。

 マストロヤンニとドヌーヴが演じる夫婦が、生まれて間もない我が子を突然病気で亡くすという悲劇である。


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 最後に、NHK大河ドラマ『赤穂浪士』(1964年)の、芥川也寸志の作曲によるメイン・タイトル。大河ドラマのメイン・タイトルは全て知っているが、この曲が最も優れているのではないか。雪道を討ち入りへと行進する赤穂浪士たちの姿を、これほど見事に表現した曲はないだろう。


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by Abend5522 | 2012-05-12 22:30 | クラシック以外の音楽
2012年 05月 11日

☆ 私の愛聴盤 ベートーヴェン / 交響曲第8番

 8番といえば、クリュイタンス/BPOによる演奏がモノラル化され、フルトヴェングラーのものとして発売された"事件"が思い出されるが、今もしばしば聴くのは、シュミット=イッセルシュテット/VPOの美しい演奏である。


 シュミット=イッセルシュテット盤に対し、室内オケによる溌剌たるスピード感に魅了されたのが、若き日のティルソン=トーマス/イギリス室内O盤だ。
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 最近のティルソン=トーマスについては全く知らないのだが、やはり若き日の彼がボストンSOを振って録音したチャイコフスキーの交響曲第1番『冬の日の幻想』もテンポが速めで、かつ濃厚なロマンティシズムを聴かせる。このスタンスは8番の演奏でも変わっていない。彼が30代~40代にかけて録音したベートーヴェン交響曲全集の一枚である。

 この録音は、殆ど忘れ去られている。不運としかいえない。ちょうどピリオド楽器による録音が登場し始めた時代であり、モダン楽器の室内オケによる演奏は顧みられなくなってしまったからだ。私は第九も持っているが、忘れ去られるには惜しい演奏である。

 現在の愛聴盤は、sawyer様のお導きによって瞠目し、聴く度にそれが孕んでいるものへの探求心が強くなるケーゲル/ドレスデンPO盤である。
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 ザッハリッヒな演奏でも肉付けというものがあるが、ケーゲルの演奏は「白骨」である。このような"表現"をした指揮者を他には知らない。それが、強烈な印象を与える。推進力という言葉を演奏に当てはめるならば、こういう演奏こそがその真の対象なのかも知れない。

 8番はベートーヴェンの自信作だったが、聴衆からの評判は良くなかったらしい。小ぶりでメロディーも親しみ易く思えるこの曲の何が、当時の人々に抵抗感を持たせたのか。『親愛なるメルツェル』を第2楽章に盛り込んだからではあるまい。そもそもメロディーがどうのではなく、余りにリズミックだったからではないのかと思う。それを「白骨」の状態にまでしたのがケーゲルの"表現"であり、この曲に抱いたベートーヴェンの自信を、ケーゲル盤は改めて、そして他の演奏とは全く異なる観点から考えさせてくれるものである。

 演奏とは無関係だが、ティルソン=トーマスとケーゲルの画像を見比べると面白い。同一人物の青年期と老年期のような錯覚をしてしまう。

by Abend5522 | 2012-05-11 23:23 | クラシック音楽
2012年 05月 05日

ゴジラ三態

 1954年の『ゴジラ』メインタイトルについてである。

 まずは、サントラで。


 次に、私もCDを持っている"OSTINATO"に収録されたもの。


 楽器編成やリズム等が異なるが、こちらが伊福部昭の原譜どおりに演奏されたものである。"OSTINATO"は、、原譜どおり演奏した伊福部昭の怪獣映画音楽集で、1986年に発売された。
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 伊福部昭の「原譜」と書いたが、この曲が『ゴジラ』のために作曲されたものではないことは知っていた。しかし、YouTubeでそれを確認できるとは思ってもいなかった。


 1948年の松竹映画『社長と女店員』のメインタイトル。作品名のとおり、喜劇映画である。よくこれが残っていたものと感心してしまう。

 もうひとつ挙げておきたいのは、1943年に海軍からの委託によって作曲された『吉志舞』。無伴奏男声合唱で伊福部作品を多く歌っている不気味社のものが面白い。

 マーチの部分は『ゴジラ』にも使われるが、これが一躍有名になったのは1965年の『怪獣大戦争』においてである。これも、サントラと原譜の"OSTINATO"版があった。




by Abend5522 | 2012-05-05 23:19 | クラシック以外の音楽
2012年 05月 05日

☆ 私の愛聴盤 ベートーヴェン / 交響曲第7番

 7番を聴いたウェーバーは、ベートーヴェンが精神に異常をきたしたと思ったそうである。うべなるかな、第2楽章以外のリズム、音の多さは、当時の人々の許容量を超えていたとしか思えない。1813年初演。奇しくも、この作品を「舞踏の権化」と評したワーグナーと、ベートーヴェンを尊敬していたヴェルディの生まれた年である。

 
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 クリュイタンス/BPOのべト全の中でも、7番は特に素晴らしい。1957年の録音。フルトヴェングラー没してより3年、カラヤンが首席指揮者となってから2年、そして、独自の美音を奏でるローター・コッホが、首席オーボエ奏者となった年だ。

 BPO初のべト全がクリュイタンスの指揮で録音されることになったのは、シューリヒト/パリ音楽院Oによるそれとのバーターによるものだが、クリュイタンスは既にバイロイトで指揮を行い、シューリヒトとともにVPO初のアメリカ公演での指揮者も務めていた。

 YouTubeには7番がUPされていないが、5番があったので挙げておきたい。

 7番でのクリュイタンスは、量の多い音を混濁させず、常にリズムを明瞭に刻んでいる。ディナーミクやアゴーギクによる変化は、ほとんどつけていないにもかかわらず、一本調子になることはない。どっしりした低域に支えられた上に、柔らかい旋律線が描かれる。剛柔が融和した、聴いていて楽しくなる演奏である。

 7番は、遅くても速くても聴く側にはストレスとなる。クリュイタンスのテンポが合うかどうかは人さまざまだが、私には彼のテンポが一番合う。

by Abend5522 | 2012-05-05 20:36 | クラシック音楽
2012年 05月 01日

☆ 私の愛聴盤 ベートーヴェン / 交響曲第6番『田園』

 今の家に越す時にレコードを数百枚売却し、数十枚を持って来た。その中に、フルトヴェングラー/VPOの『田園』がある。
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 VOX原盤で、1971年にコロムビアから「栄光のフルトヴェングラー<別巻1>」として発売された1944年録音盤。アセテート盤に残されていたものらしく、当時は1953年発売のEMI盤とは別ソースの『田園』として話題になったものだ。

 当時中学生で、フルトヴェングラーが好きだった私は、この盤が発売されたことを『週刊FM』で知り、中学生には大枚の2000円を出してすぐに買った。私にとって初めての『田園』のレコードだった。

 録音状態が悪く、スクラッチノイズも盛んなこの盤を、久しぶりに聴いてみた。久しぶりなので、愛聴盤ではないのだが、新鮮な感じがした。ライナーノーツにEMI盤との演奏時間比較がされているが、トータルではEMI盤より1分ほど短い。第2楽章だけは20秒遅いが、第1楽章は45秒も速い。録音のせいもあって全体的にトーンが暗いが、そこには1944年という時代も反映されているのかも知れない。

 さて、愛聴盤である。
 まずは、コンヴィチュニー/LGO盤。そして、ケーゲル/ドレスデンPO盤。前者は、第2楽章の悠揚たるテンポが一番の魅力だ。後者は、冷徹なまでの透明感に貫かれたザッハリッヒな演奏が底知れぬ感動をもたらす。

 さらに、前記の二種に匹敵する感動をもたらしてくれたのが、リンデンベルク/ウィーン・フォルクスオパーOのものである。
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 リンデンベルク/ウィーン・フォルクスオパーOによるベートーヴェンは、『英雄』・『運命』とこの『田園』を持っているが、『英雄』はi-Tunes StoreからDL購入しか出来ず、『運命』はLP、そして『田園』は入手困難のCDである。本ブログをご覧になる方々が聴けるものを挙げるのが筋だろうが、愛聴盤ということでご容赦いただきたい。私も、偶々オークションで見つけて入手したものだ。株式会社トーンが企画・制作し、東京音楽工業が1991年に発売した、「ベスト・クラシック・コレクション」というシリーズの中の一枚で、ライナノーツは無く、全20巻から成るこのシリーズのカタログ(紙一枚)がついているだけだ。しかも、そこにはジャケのモノクロ画像、曲名、オケが記載されているのに、指揮者などは全く記されていない。

 ウィーン・フォルクスオパーOといえば、モーツァルトやウィンナ・ワルツをよく演奏し、明るく素朴な音を出すマイナーなオケというイメージしかなかったが、リンデンベルクとのベートーヴェンを聴いて驚いた。確かにトーンは明るい。木管の響きなどは仄々とした味わいがある。しかし、リンデンベルクの指揮はこのオケを余り歌わさず、速めのテンポでグイグイと引っ張って行く。アタックの強い低弦、金管の咆哮、ティンパニーの強打など、このオケに抱いていた先入観を吹き飛ばす勢いだ。全曲を一気に聴き終えられる、淀みの無い演奏である。

 今回は、HABABI様とsawyer様のブログを先に拝読することができた。独断だが、ご両人とも『田園』に「恬淡の美」を聴いておられるのだと思う。私も、リンデンベルク盤にそれを聴いた。ウィーン・フォルクスオパーOというオケからは、指揮者によっては甘味をいくらでも引き出すことができるだろう。リンデンベルクが、なぜこのオケでベートーヴェンの交響曲を録音しようとしたのかはわからない。ただ、彼はその学者然とした風貌から受ける印象とは違う、かなり鋭敏な神経の持ち主であったことは確かだと思う。

 このCDには、『エグモント』序曲と序曲『コリオラン』も収録されている。もしかしたら、ベートーヴェンの交響曲全集の録音があるのかも知れない。なお、私はこれも偶々オークションで見つけて入手した、同じコンビによるブラームスの3番のLPも持っているが、これも素晴らしい演奏である。

 以前、sawyer様のブログで、『未完成』第1楽章がアクセントで終わる版がリンデンベルクの校訂になるものとわかり、この指揮者が只者ではないことをいっそう強く認識させられたが、如何せん、知名度が低いどころか、忘れ去られた指揮者の一人になってしまっていることが残念でならない。

by Abend5522 | 2012-05-01 23:42 | クラシック音楽