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Abendの憂我な部屋

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カテゴリ:京都( 26 )


2013年 07月 06日

夕方にちょっと自転車で

 自転車で少し走って来た。

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 宇多野の福王子神社。仁和寺のすぐ近くにあり、同寺の摂社である。周山街道は、ここから始まる。
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 福王子から一条通を少し東に行って北へ向かうと、画像の所で通行止めになるが、ここを左に行って砂利道を上れば、陽明文庫へと通じている。陽明文庫は、近衛家の古文書保存館として、近衛文麿によって建てられた。期間を定めて公開しているが、20名以上の団体で予約をしなければならない。

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 少し引き返すと、御室八十八ヶ所霊場の道に入ることが出来る。八十八ヶ所は、二度巡ったが、近年は危険区域の補修や、老朽化したお堂が建て替えられている。上の画像は、立て替えられた第三番の亀光山金泉寺。釈迦如来が安置されている。下のものは、第四番の黒巌山大日寺。大日如来が安置されている。
 自転車で巡るのはいけないので、元の道に戻った。

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 少し走ると、円融天皇の後村上陵。円融天皇の火葬塚は龍安寺の裏山にあるが、火葬後ここに御陵が定められた。

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 周山街道へ出て再び福王子へ戻り、嵐電の宇多野駅。近年、「高雄口」からこの名に変更されたが、嵐電の鳴滝駅の近くで生まれ、幼稚園も嵐電で通っていた私には、旧名の方が馴染み深い。

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 宇多野駅から、白梅町方向の次の駅は御室仁和寺で、これは旧名が御室駅。そこから双ヶ丘の麓の細い道を走り(画像上)、通りに出ると、オムロン発祥の地のプレートがある(画像中)。体温計やヘルスメーターなどで有名なオムロンだが、元は立石電機という大阪の企業で、1944年にこの地に移転した。以降、御室にあることから「オムロン」ブランドで生産を行い、20数年前にそれを社名とした。現在では、本社は京都駅の近くにあり、ここは児童公園になっている。
 このプレートの斜め向かいには、吉田兼好の旧跡である浄土宗の長泉寺がある。兼好が晩年に草庵を構えた場所であり、『徒然草』はここで書かれたとされている。そのため、『徒然草』には近くにある仁和寺がよく登場するのである。ここには兼好の墓もあるが、これは江戸期に双ヶ丘から移されたらしい。

 ちょっと、いい汗をかいて来た。

by Abend5522 | 2013-07-06 18:36 | 京都
2013年 06月 30日

夏越祓

 今年は、大将軍八神社へ行った。平安遷都とともに造営された、方除の神社である。
 茅輪は、定めどおりにこぐる。左回り⇒右回り⇒左回り⇒参拝の順だ。
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 曇天だったが、雨は降らなかった。北野の天神さんの横から、紙屋川の方へ行く。
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 水無月は、妙心寺門前にある亀屋重久のものにした。神社で買った茅輪の御守とともに。
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 明日から7月。祇園祭が始まる。

 

by Abend5522 | 2013-06-30 19:10 | 京都
2013年 02月 27日

ひとつの記事から

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 京都新聞に、ジャズ喫茶「YAMATOYA」が3月1日から約1年間、建て替えのため休業するという記事があった。内装はそのままで、ライヴの数を増やすという。ジャズに疎い私は行ったことがないのだが、京都の老舗ジャズ喫茶のこととて驚いた人も多いのではなかろうか。

 TVドラマ『砂の器』のロケに使われたことが、以前sawyer様のブログで話題になったが、記事にもあるとおり、五木寛之の小説『燃える秋』にも登場する。学生時代、『内灘夫人』とともに読んだのがこの小説だった。『内灘夫人』を読んだ時には、米軍の弾薬庫がまだ残っていた金沢の内灘へ本を携えて行ったが、『燃える秋』は京都とイランが舞台になっている。

 『燃える秋』は東宝が映画化し、1979年に公開された。監督が小林正樹、音楽が武満徹である。ラストのクレジット・シーンには、ハイ・ファイ・セットが1978年にリリースした『燃える秋 GLOWING AUTUMN』が使われてヒットした。これも武満徹の作曲で、作詞は原作者の五木寛之自身によるものだった。

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 「YAMATOYA」は、映画にも登場する。2006年に日本映画専門チャンネルで録画したものだが、真野響子演ずるヒロインの桐生亜希が店に入って来たところを、後に深い関係となる北大路欣也演ずる岸田守が声を掛け、話すシーンで使われている。オーディオ装置などは特に映されていないが、30数年前の「YAMATOYA」を観ることができる。

 

by Abend5522 | 2013-02-27 21:30 | 京都
2013年 02月 26日

聖地巡礼

 アニメの舞台のモデルになった地に行くことを「聖地巡礼」というらしい。京都アニメーションが制作した『けいおん』が大ヒットした京都では、十字屋三条本店や修学院界隈などがその「聖地」となり、今もアニメ・ファンの「巡礼」が絶えないようだ。

 現在放映中の京都アニメーション制作の『たまこまーけっと』が、また新たな「聖地」を加えた。出町がそれだ。正確には出町桝形商店街だが、地元の者は単に出町と呼んでいる。下鴨に住んでいた頃はここが買い物の場所で、今では行列が出来る豆餅の「ふたば」も(主人公は餅屋の娘で、店のモデルがここらしい)、昔は普通の商店街のお餅屋さんだった。

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 第4話を見ていたら、喫茶店のシーンがあった(出町に実際にある喫茶&BARがモデルらしい)。そのシーンでレコードがかかっており、カートリッジに"M44G"とあった。そう、あの有名なSHUREのM44Gである。アニメではメーカーの名を出せないので"SHwa"になっている。
 
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 シェルには"Neconics"とある。Technicsがモデルだと思って画像を探してみると図星だった。SFPCC31001K1というシェルで、DJ用プレーヤーSL-1200MK5の付属カートリッジらしい。「オーディオの足跡」で調べると、2002年に発売されたプレーヤーということだ。

 『たまこまーけっと』にはお風呂屋さんが出て来るが、モデルになっているのは錦の商店街近くにあるお風呂屋さんらしい。また、主人公が通う学校は伏見にある聖母学院がモデルで、その近辺である京阪藤森界隈も登場するらしい。出町から伏見まで通学するのは大変そうだが、出町柳から京阪で藤森まで20分弱で、そこから聖母学院までは徒歩3分ぐらいだから、実際に出町界隈から通学している子もいるのではないだろうか。平安神宮の辺りから走り出した主人公が、次のカットでは清滝に着いているというサスペンス劇場にあるシーンと比べると、はるかに現実的である。

by Abend5522 | 2013-02-26 00:04 | 京都
2013年 01月 28日

一枚のサイン入り色紙


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 往年のTV時代劇『帰って来た用心棒』の出演者である、栗塚旭、左右田一平、島田順司の連名サイン入り色紙である。裏に1969.2.22とあるとおり、もう44年前のものだ。東映京都テレビが制作していた番組なので、家の近所にある糺ノ森で撮影がよく行われていた。このサインは私が直接して貰ったものではなく、何時も行く散髪屋さんの顔ききでお願いしたものだ。

 栗塚旭は、後に哲学の道沿いに喫茶店『若王子』を開業したが、それも10年ほど前に休業した。現在75歳になるが、京都を舞台にした映画やドラマで渋い演技を見せている。特に、2005年に公開された映画『二人日和』では、藤村志保演ずる余命いくばくもない老妻の夫で、御所や神社に収める装束職人の役を淡々と演じ、久々に日本映画らしい作品を観たと思ったものだ。

 左右田一平は、惜しくも昨年81歳で亡くなった。用心棒シリーズ以降も時代劇で飄々とした武士の役を務めたり、また現代劇ではサスペンス劇場などでの渋い刑事役が印象に残っている。

 島田順司は、74歳で健在だ。用心棒シリーズ以降では、『はぐれ刑事純情派』で、藤田まこと演ずる音川刑事の上司役をずっと務め、時代劇でも必殺シリーズや『剣客商売』などで藤田まことと共演している。

 今月から、『科捜研の女』の第12シリーズが始まった。京都を舞台にしたドラマが、現代劇にシフトしてから久しくなってしまった。

by Abend5522 | 2013-01-28 01:01 | 京都
2013年 01月 27日

チンチン電車のこと


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 一条七本松には、チンチン電車と七本松の由来を示すモニュメントがある。京都駅から北野天満宮の間を走っていた北野腺には、幼い時に乗ったと記憶している。今は、梅小路公園内の短いコースで乗ることが出来る。

 チンチン電車の速度は自転車並みだったが、それでも人身事故が多かったために、開業後しばらくは雇われた少年が「電車が来まっせ、危のおっせ!」と先ぶれをやったという。しかし、今度は先ぶれの少年が電車に跳ねられるという事故が起こり、そこで車輌の前下に救助網が付けられた。この救助網は、後の市電車輌にも受け継がれていた。

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 モニュメントから一条通を少し西へ行くと、京都こども文化会館(エンゼルハウス)がある。収容規模が600人と100人の、二つのホールがあり、私も仕事で何度も行ったことがある。ここに、チンチン電車の北野車庫があって、廃止後は長い間車輌が陳列されていた。
 エンゼルハウスの時計台は、毎正時に時計の下の扉が開き、音楽とともに人形が動く仕掛けになっている。写真を撮るのが5分早ければ、それを撮ることが出来たのだが。

 チンチン電車は、民営の京電(京都電気鉄道)から京都市の公営となった。路面電車一般がチンチン電車と呼ばれることもあるが、京都では1978年に廃止された市電や、現在も一部路面区間を走っている嵐電をチンチン電車とはいわない。

by Abend5522 | 2013-01-27 15:35 | 京都
2013年 01月 18日

寒日寸景


 日曜に出勤したので、今日は代休です。時折雪の舞う午後、東山に所用があったので自転車を走らせました。
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 丸太町橋から見る鴨川も寒々としています。雪をかぶった北山が、それを一層感じさせます。南の二条大橋西詰では、ホテル・フジタに代わって来年開業するリッツ・カールトンを建設中で、数基の大型クレーンが風情を損ねています。

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 用事を済ませ、疎水の端で一服しました。第三代府知事の北垣國道の銅像があります。琵琶湖疏水は、技官の田邊朔郎と北垣知事の尽力によって、1890年に完成しました。普段は疎水の存在を意識しませんが、改めてこの一大事業に思いを馳せることが出来ました。

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 休憩所からは大文字山が望めます。大の字に薄い雪が見られます。
 下の画像は、来年に開設100年を迎える夷川水力発電所です。この赤煉瓦造の小さい建物は、殆ど知られていないでしょう。激しい流れが、足下に地響きを立てていました。

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 鴨川に都鳥を見ることはありませんでしたが、高瀬川の御池橋から小鷺を撮りました。人々にはお構いなく、凛とした風情で川を独歩していました。惚れてしまうほどの美形です。

 この後、何時ものように市役所前の駐輪場に自転車を置き、寺町と京極をぶらぶらしました。アヴィスで中古CDを見て、宝くじを買いました。






 

by Abend5522 | 2013-01-18 19:02 | 京都
2013年 01月 09日

向日町操車場の想い出


 
 JRの向日町から長岡京の間は、京都総合運転所の向日町操車場が大半を占めています。6年間勤めた前の職場はこの近くにあり、操車場があるために自転車でガードを抜けて、阪急の西向日駅と間を往復しなければなりませんでした。

 向日町操車場は、また懐かしい所でもあります。大学院時代に、短期間ではありましたがここで車輌清掃のアルバイトをしていたことがあったからです。夜の9時ぐらいに入って、在来線の特急を2輌分と、ディーゼル気動車輌を清掃するのが、一人当たりのノルマでした。
 特急車輌は、座席を一台ずつ横に向けて隅々まで拭き、最後は床にモップをかけます。特急車輌なので長く、これを二輌分やると足腰が痛みました。ディーゼル気動車は更に大変で、油汚れを拭き取るのにからりの労力がいりました。

 アルバイトを指導する年輩の班長さんが厳しい人で、よく叱られたものです。また、清掃中に車輌が動き出すこともあり、特にドアのレールが熱を持っていて危険ということで、アルバイトには保険が掛けさせられました。

 4時間ほどで清掃は終わり、詰所でお風呂に入れてくれました。車やバイクで来ている人はそれで帰って行くのですが、どちらも運転しない私は、5時台の阪急の始発まで詰所で仮眠をしたり、また修士論文の原稿を書いたこともあります。

 夜間の肉体労働ですから、バイト代は一回で6,000円だっと記憶しています。

 前の職場に異動した時には、ガードを抜けたところにある詰所の横を自転車で毎日通りました。アルバイトは何種類かやりましたが、強く印象に残っているのがこの車輌清掃です。

by Abend5522 | 2013-01-09 01:01 | 京都
2013年 01月 04日

ヒポクラテスたち


 京都府立医大をモデルにしたATG映画の題名ではありません。
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 昔の俗謡にも「二条きぐすり」と歌われたように、二条通は薬種問屋街です。現在では店の数も少なくなりましたが、二条両替町西入ルには薬祖神があります。日本の薬祖神である大国主命と少彦名命が祀られているのですが、それだけではないのです。
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 ガラス越しで見えにくいかも知れませんが、銀獅子の右にあるのは中国の薬祖神である神農の像です。自分の体で薬草と毒草、清水と汚水を試して製薬と農業を発展させたと尊崇されている神です。
 銀獅子の後ろにあるのは、西洋医学の祖であるヒポクラテスの胸像です。四液のバランスの崩れが病気を起こすという彼の考え方は既に通用しませんが、臨床医学を主流にした功績は偉大です。七項目からなる「ヒポクラテスの誓い」は、現在も医師が守るべき倫理とされています。
 小さな祠である薬祖神は、ヒポクラテスも祀られていることから、コアな京都ファンには知られているようです。

 今日は時折雪の舞う寒い一日でしたが、久しぶりで繁華街へ行ってきました。河原町二条のハイファイ堂へ行ってから、何時ものように市役所前の駐輪場に自転車を置き、アヴィス→十字屋四条店→ポコ・ア・ポコ→十字屋三条本店のレコード屋めぐりです。他にも数店あるのですが、私はこのコースを定番にしています。十字屋四条店で、プーランクのグローリアとスターバト・マーテルを収めたプレートル盤を買いました。これが、今年の一枚目となります。
 CDやレコードを買う枚数は、年々減少しています。私には、高額なものをポンと買ってしまうのに、数千円のものを買うのに躊躇するという性癖があります。今日も十字屋の三条本店へ行ったら、sawyer様がお持ちのプーランク全集が4,800円であったのですが、躊躇して買わずじまいでした。通販だともっと安いというのもあったのですが。

by Abend5522 | 2013-01-04 22:00 | 京都
2012年 12月 01日

諸行無常の風景


 代休ゆえ、BBGオーディオと堀川五条のブックオフへ行った。その間に撮った三枚。
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 それにまつわる話は知られているものの、羅城門が存在したのは、平安遷都後200年足らずである。この、石碑だけがある小さな児童公園に、幅約30m、高さ約20mの大門が在ったことを、どうして想像できようか。ここより少し西にある、13世紀に失われた西寺の址もまた然り。以降、九条通の主役は東寺が占めている。

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 東寺の横道を上がると、清和源氏発祥の地に六孫王神社があり、その隣に兒水(ちごすい)不動の小さな祠があって、今も水が湧いている。郊外にあるのではない。後ろに見えるコンクリート壁は、東海道線の高架である。
 高架ならば、真っ直ぐ行けば抜けられるかといえば、そうではない。薄暗いその下には線路が通っているからだ。以前は梅小路駅といった、京都貨物駅への貨物専用線路である。

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 壁沿いに少し東へ行くと抜けることができる。そして、梅小路公園の大宮通側ゲートに出る。
 京都水族館。最近の京都で最大の椿事がこれだ。人工海水を使い、ペンギンもいればイルカショーもある。その一方で、オオサンショウウオがいて、田植え体験ゾーンなどもある。家族は年間のフリーパスを買って既に行ったが、私はまだだ。
 梅小路公園は、国鉄時代の機関区。動態保存された幾つもの蒸気機関車があるので、鉄道ファンの聖地のようになっている。旧二条駅もここに移築保存されている。蒸気機関車やチンチン電車も公園内を走っている。また、2年後に開業予定の京都鉄道博物館建設の工事も既に始まっているが、それでもまだまだこの公園は広い。息子が小さい頃には、ここで行なわれた木下大サーカスを観に行ったものだ。
 梅小路公園にはもっと重大な歴史がある。戦争末期、ここが原爆投下目標にされたことだ。
 戦争中、京都は西陣や東山の馬町が空襲を受け、かなりの死傷者が出たのだが、米軍は京都への爆撃を禁止していた。これは、後に米軍が京都の文化財を破壊したくなかったからという麗しい誤解を生んだが、例えばドイツへの容赦なき爆撃ひとつ取ってみても、そのような理由ではなかったことは明白なのだが。
 米軍は、原爆の実際の効果を確かめられる最適の目標に京都を選んだ。その理由は、主に三点ある。
 1 盆地の京都に投下すれば、爆風が拡散せずに効果が確かめられる。
 2 梅小路周辺には、戦禍を逃れて京都へ移って来たものも含め、軍需産業が集中している。
 3 知的水準の高い大学などが多く、原爆の威力を見せることによって日本政府に降伏を説かせることができる。
 京都を、原爆の実験に使おうという怖しい計画だが、これを止めたのは、スチムソン陸軍長官を主とする文官グループといわれている。京都に原爆を投下すれば却って日本国民の恨みを買い、既に計画されていた戦後の日本統治に支障をきたすからだという。大統領のトルーマンはこの進言を受け、京都を原爆投下の最高目標から外した。しかし、広島と長崎に原爆の惨禍をもたらした米軍は、それでも日本が降伏しない場合、京都への投下を実行するつもりだったらしい。
 梅小路にもし原爆が投下されていたら、私は生まれていなかっただろう。

by Abend5522 | 2012-12-01 02:04 | 京都