人気ブログランキング |

Abendの憂我な部屋

abend.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:佛教( 10 )


2013年 03月 02日

『鏡地獄』のヒント?

 江戸川乱歩の『鏡地獄』。鏡の魔力にとりつかれた青年が内側全面を鏡張りにした球体を作り、自らその中に入った挙句に発狂したという短編である。

c0240245_22483012.jpg

 『華厳経(大方廣佛華厳経)』を所依の経として、中国で開花したのが華厳宗。その諸師の中、武則天の厚い庇護を受けた一大思想家が、昨年が没後1300年だった賢首大師法蔵である。中央アジアにあった康居国の丞相を務めた家柄で、祖父の代に中国に帰化して皇帝に仕えた。

 『華厳経』の漢訳で一般的なのは、晋の時代にインド人のブッダバドラが訳した六十華厳(60巻本)だが、唐代に武則天が西域のホータン国から訳経僧のシャクシャーナンダを招き、新たに八十華厳(80巻本)を訳出せしめた。この時、法蔵はシャクシャーナンダが口述したものを漢語で筆記する筆受を担当しているので、その語学力は相当なものだったに違いない。

 法蔵は、武則天に彼の華厳思想を何度も説いたが、その難解な内容を解り易くするために工夫を凝らした。そのひとつは、黄金で出来た獅子の像に武則天を注目させて説いたものだ。彼は金獅子を指差して、これは黄金の塊だが、こうやって細工されると獅子にしか見えない。しかし、獅子の形に細工されても黄金であることを失わないと説いた。これは、佛=真理を黄金、縁を細工、現象を獅子に例えたもので、あらゆる現象は真理が縁に随って現れたものということを説いたのである。

 もうひとつが、鏡を使った実験である。法蔵は十方に鏡を置き、その中に佛像を入れて灯りで照らし、無限に映るその姿を見せた。これは、あらゆる現象が網の目のように相互関係を成し、Aが主の時はBが伴となり、Bが主となればAは伴となること、またXが顕れている時にはYが隠れ、Yが顕れるとXは隠れるということを説くためである。

 江戸川乱歩は、科学雑誌から『鏡地獄』の着想を得たという。乱歩が、この法蔵の実験を知っていたかどうかもわからない。しかし、片や主人公を発狂させた異様な世界、片や高度な華厳思想という全く異なるものの間に、1200年余りの人間の時を感じることができる。

by Abend5522 | 2013-03-02 00:14 | 佛教
2012年 12月 24日

一休さんと蓮如さん


c0240245_0241292.jpg
 
c0240245_025418.jpg

 一休宗純禅師と蓮如上人は親友でした。禅僧と念佛僧が親友同士は面白いことですが、二人はそれぞれ厳しい人生を送りました。
 
 一休さんは、若い時に師事していた師匠が亡くなってしまい、絶望のあまり琵琶湖で入水自殺未遂を起こしていますが、闇夜に鳴く烏の声で大悟したといいます。以降、堕落していた当時の禅に喝を入れつつ、風狂の道を歩むことになります。晩年は盲目の娘の森女を伴い、漢詩集『狂雲集』には、男女の性愛についてのかなり際どい作品も多くあります。87歳の長命でありましたが、臨終の言葉は「死にとうない」であったと伝えられています。

 蓮如さんは、親鸞八代の直系子孫ですが、当時の本願寺は同じ浄土真宗の他派よりも小さな寺に過ぎませんでした。しかし、彼には天性ともいえる政治力、オルガナイザーの資質があり、一代にして本願寺を最大級の宗教権力にまで高めます。また、現代の本願寺の基礎となる布教や勤行の方式を確立し、宗祖親鸞の著作を開版する一方で、『歎異抄』を門外不出にしました。また、蓮如さんは御文章(おふみ)によって全国の信徒への疑問に答え、布教を推進するという、今でいえばメールやツィッターによる発信のような手法を取りました。彼も、84歳の長寿を全うしました。
c0240245_056024.jpg

 これは、親鸞聖人晩年の絵像です。これに対してかどうかはわかりませんが、一休さんは次のような歌を詠みました。

 襟巻のあたたかそうな黒坊主 こやつが法は天下一なり

 親鸞さんの法(教え)は佛教思想を大転換させたものでしたが、一休さんはそれを理解していたのかどうかはわかりません。しかし、一休さんと蓮如さんが、宗派の垣根などお構いなく親交を暖めたのには、思想的にも相通ずるものがあったからでしょう。両者には、面白いエピソードがあります。
 或る富裕家が一流の絵師に馬の屏風絵を描かせ、それへの賛を二人に依頼しました。富裕家は、二人の高僧がさぞや立派な賛を書いてくれると期待したのですが、まず一休さんが書いたのが「馬じゃげな」で、続いて蓮如さんが書いたのが「そうじゃげな」でした。二人とも京都人ですから、今でいえば「馬みたいやな」、「そうみたいやな」ということになります。こう書かれた時の富裕家はどんな顔をしたのか、想像するだけで笑えます。
 また或る時、一休さんが蓮如さんを訪ねて来ました。しかし、蓮如さんは留守だったので、一休さんは帰りを待っている間に眠くなり、そばにあった阿彌陀さんの像を枕代わりにして寝てしまいました。やがて帰って来た蓮如さん、怒るどころか「おいおい、わしの米櫃をひっくり返してもらっては困るぞ」と一休さんにいったということです。

 伝教大師最澄と弘法大師空海は、初めは親交が篤かったものの訣別してしまいましたが、一休さんと蓮如さんは生涯にわたって親友どうしだったようです。
 

by Abend5522 | 2012-12-24 01:18 | 佛教
2012年 11月 05日

それは地下から出現する


 ワーグナーの『指環』で、地下からぬっと現れてヴォータンに意味深なことを説く地母神にして智恵の神たるエルダ。彼女とヴォータンの間に生まれたワルキューレが、なぜ戦乙女たちなのかにも興味津々なのだが、それ以上に関心を持たせるのは、エルダが神々の黄昏を予知する「時」の智恵を有していることである。
 前の記事でインドの女神カーリーを挙げたが、カーリーは夫であるシヴァ神の異称であるカーラが女性名詞化したものであり、「黒」とともに「時」という意味も持っている。両者とも破壊と新生を司る地母神系である。

 よく見られる寺院建造物に多宝塔がある。二層造りのものが多く、穏やかな印象を受ける塔である。
 多宝塔は、『法華経』の「見宝塔品」に登場する多宝如来が住する七宝の大塔に由来している。
c0240245_2251898.jpg

 
 「爾時仏前有七宝塔高五百由旬縦広二百五十由旬従地涌出住在空中」

 「見宝塔品」の冒頭である。釈迦如来が『法華経』を説いている時、突如として七宝の塔が出現する。その高さは500ヨージャナ、縦横の長さは250ヨージャナ。佛教では1ヨージョナ(由旬)を約7kmとしているので、お寺の多宝塔からは想像もつかない、七宝で飾られた豪華な超巨大塔である。これが地より湧出し、空中に静止する。

 やがて、この宝塔の中から、『法華経』を説く釈迦如来を讚歎する多宝如来の大音声が轟き渡る。そして、多宝如来は空中の宝塔に釈迦如来を招き入れ、自分の坐を半分空けて釈迦如来を座らせる。これは二尊並坐
といわれ、画像にあるように、多宝如来は古来よりこの形で釈迦如来とともに表現される。こうして二尊は、宝塔の中で対等の会話を行うのである。

 多宝如来は、東方の無限の彼方にある宝浄国の主だが、菩薩であった時に大願を立てて成佛し、滅後に全身が佛舎利となった。多宝如来が、佛舎利を収めるストゥーパ(塔)を住処としているのはこれに因る。
 多宝如来が成就した大願とは、『法華経』を説く者がいるところ、自分はそれが何処であろうとも出現し、讚歎するというものである。釈迦の説いた法を最重視する佛教は、釈迦へと繋がる多くの佛が以前にいたという過去佛を立てるが、多宝如来はその中の一佛であり、言わば釈迦の師といえる存在である。

 多宝如来は、『法華経』の説かれるところ、時空を超えて宝塔に乗り、多くの供を連れて地下より湧出する。それは、まさに「時」を支配する地母神系の如来といえるだろう。『法華経』は、その編纂過程において多くの謎を示しているが、文学的な内容が古来より人心をとらえて来た。日本では日蓮によって大いに宣揚され、為に現代に至るまで多くの教団を生み出すとともに、宮沢賢治、北一輝、石原莞爾といった、方向性の全く異なる人物の思想形成にも関わっている。

 「見宝塔品」の次の「提婆達多品」では、そろそろ地下へ帰りましょうと多宝如来に言ったお供の智積菩薩に釈迦如来が待ったをかけ、竜宮で『法華経』を説いて来た文殊菩薩と対論をさせる。そこで、文殊菩薩は龍王の娘である八歳の龍女を讚歎する。その時、今度は大海の底より竜宮が湧出して空中に静止し、八歳の龍女が現れる。これを見た、いわゆる小乗佛教における釈迦の十大弟子にして智慧第一のシャーりプトラ(舎利弗)は疑念を抱き、龍王の娘である幼女が成佛できるはずはないと言うが、龍女はそれを嘲笑するが如く、釈迦如来の前で瞬時に男に姿を変えて成佛する。
 これは、地母神系の多宝如来に海神系の龍女が対峙したと言うべきであり、当時の宗教勢力図を表したものとして興味深いものがある。

by Abend5522 | 2012-11-05 23:47 | 佛教
2012年 11月 05日

パールヴァティとカーリー


 准胝観音は、観音菩薩の三十三化身のひとつとされている。だが、「准胝」は「清浄」を意味する女性名詞「チュンディー」の音写で、古くから「佛母(一切諸佛の母)」とも称されていることから、チュンディーを観音とするのは疑問である。

 チュンディーは、インドの女神ドゥルガーが佛教に取り入れられたとされている。
 ドゥルガーは、アスラ(阿修羅)族の王マヒシャが軍勢を率いて神界に戦いを挑んだ時に、神々の怒りの念が結集されて生まれた。彼女は神々から授けられた様々な武器と、山神が与えた獅子に乗ってアスラ族を殲滅し、アスラ王マヒシャを討ち取った。ドゥルガーとは、「近づき難き者」という意味である。

 ドゥルガーは、慈愛に満ちた女神パールヴァティーと同体とされている。パールヴァティーは「山の女」という意味で、ドゥルガーに獅子を与えた山神の娘である。シヴァ神の妻で焼身自殺をしたサティの転生としてシヴァの妃となった。象頭神ガネーシャは、彼女とシヴァの間に生まれた息子である。

c0240245_2334476.jpg

 世にも怖しい女神カーリー。彼女もドゥルガーと同体とされており、シヴァの妃である。殺戮に勝利し、美酒に酔うと大地を揺るがせて踊るため、画像の如く夫のシヴァがクッション代わりになってやっている。
 カーリーとは「黒き者」という意味であり、佛教では「大黒天女」と称される。画像のカーリーは肌が青く、同体のドゥルガーは黄色、パールヴァティーは金色に描かれるが、インド神話では、パールヴァティーは本来肌が黒かった。それを夫のシヴァに嘲られたため、創造神ブラフマが彼女を哀れに思って金色の肌に変えてやったという。また、カーリーはカーリーマー(黒い母)とも称される。映画『インディージョーンズ 魔宮の伝説』では、王宮の地下に邪神カーリーを奉ずるサギー教団が描かれているが、その祈りの文句に「カーリーマー」とあったはずだ。なお、サギーはヒンディー語でタギーといい、19世紀に実在したカーリー信仰による殺人集団である。

 以上のように見てくると、山神の娘たる慈愛深きパールヴァティーは、山すなわちヒマラヤ山麓一帯のアーリアンの女神であり、ドゥルガーやカーリーは、古くからの土着神がそれに吸収されていったのではないだろうか。ドゥルガーの出自についてはよくわからないが、カーリーはベンガル地方の土着神といわれている。すると、本来黒かったパールヴァティーが金色に変化させられたのは、パールヴァティーの出自がカーリーにあったと言わねばなるまい。黒ー地母神というベンガル地方の土着信仰が、金色のアーリアンの神に変貌させられたということになるだろう。

 破壊と再生をもたらすシヴァ神の化身はマハーカーラ(大暗黒天)である。佛教に取り入れられ、更に神道と習合して現在の大黒さんになってしまったが、これもマハーカーラがシヴァの化身なのではなく、シヴァの出自がマハーカーラと見るのが妥当であろう。

by Abend5522 | 2012-11-05 00:42 | 佛教
2012年 11月 01日

マリア観音とマーヤー


 プッチーニの『トスカ』に関し、sawyer様、HABABI様、そして私との間で意見交換をするうちに、マリア信仰に話題が及んだ。ご両兄が開陳されるご見解に触発され、私は佛教の面から思うところを書いてみたくなった。

c0240245_21534724.jpg

 キリスト教が禁制となった江戸期に、隠れキリシタンたちは画像のようなマリア観音を密かに信仰していた。
 マリア観音という像があるのではない。これは悲母観音像である。慈母観音、子安観音という別称を持つ。

 観音すなわち観音菩薩は、サンスクリット語でアヴァローキテーシュヴァラという。観自在菩薩とも漢訳される。そう、『般若心経』の冒頭に「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時・・・」とある菩薩である。
 アヴァローキテーシュヴァラは、三十三種の姿に化身する。しかし、その中に悲母観音は見当たらない。それもそのはずで、悲母観音は明朝の中国おいて、イエズス会の宣教師マテオ・リッチが造らせたものだからである。リッチにとって中国での宣教は宿願であり、彼は中国の宗教文化にキリスト教を融和させる平和的手法を取った。その甲斐あって、リッチは明朝で利瑪竇という中国名を与えられて重用され、中国でその生涯を終えた。
 悲母観音像は、そのような彼がマリアを菩薩像の形で表現したものであって、これが我が国にもたらされたわけだが、一方でそれは隠れキリシタンにとってのマリア観音となり、また一方では幕末から明治期に活躍した狩野 芳崖の有名な絵画となるなどして、現在も観音信仰のひとつとなっているのである。

c0240245_2232899.jpg

 釈迦の生母はマーヤー(摩耶)である。マーヤーは古代インド哲学では「神秘的な力」、「幻影」を意味するが、彼女の場合はマーター(母)に由来するという説が、近年では有力である。従って、マーヤーというのは名前ではない。

 釈迦の誕生伝説は、マーヤーが6本の牙を持つ白象が胎内に入る夢を見て釈迦を懐妊し、出産のために実家へ帰る途中にルンビニ村の園で産気づき、画像にあるように右脇から釈迦を産んだとしている。これは佛教独自の伝説ではなく、カースト制度を補完するヴェーダにおいて、第二身分たるクシャトリアは脇から生まれるとされているからである。釈迦の父であるスッドーダナ王(浄飯王)は、現在のネパールに在って米作を行っていた、クシャトリア階級の部族たるシャーキャ(釈迦)族の長であった。王とその兄弟の名には「ダナ」(飯)が用いられており、モンゴロイド系の農耕部族であったことが知られている。

 マーヤーは、釈迦を産んで7日目に死亡し、トラーヤストリンシャ(忉利天)に転生したとされる。トラーヤストリンシャはインドラ(帝釈天)を主とし、四方の各々に八天がいる、計三十三天から成る楽園である。悟りを開いた釈迦が忉利天へ行ってマーヤーに説法しという伝説があり、また、『摩訶摩耶経(大術経)』には釈迦の涅槃を悲しんだマーヤーが忉利天から降り下り、釈迦はそれに応えて自ら金色の棺を開き、マーヤーに説法したとある。

 釈迦の育ての母は、伯母のマハープラジャーパティー(摩訶波闍波提)である。彼女はマーヤーの妹だが、当時は姉妹を共に娶る習慣があったことから、彼女もスッドーダナの妻であったという説があり、更には、彼女が釈迦の生母という説もあるからややこしい。なお、 マハープラジャーパティーは後に出家して釈迦の教団に入り、初の尼僧グループを作ったとされている。
 
 出家前の釈迦には複数の妻がいたとされているが、普通にはヤショーダラー(耶輸陀羅)のみが知られている。彼女も後に、釈迦との間に生まれた息子のラーフラ(羅睺羅)とともに出家し、佛弟子となる。そして、息子のラーフラは、後に釈迦の十大弟子の一人に数えられることとなる。

 マーヤー、マハープラジャーパティー、ヤショーダラーという釈迦をめぐる三人の女性のうち、崇敬の念を持たれているのはマーヤーである。無論、マリア信仰のように広範で濃密なものではない。伝説化されてはいるが、あくまでも釈迦の生母にして弟子であるという位置づけであり、釈迦が後代に法身佛(真理そのものである佛)たる釈迦如来となって行くこととは比例していない。これは、佛教が釈迦という人間よりも、彼が悟った法に重点を置くからであろう。

 佛教における地母神的性格を持つ諸尊については、後日に述べたいと思う。
 
 

by Abend5522 | 2012-11-01 23:54 | 佛教
2012年 08月 14日

お盆のこと

 私の生活には帰省というものがない。北白川に住む母の家までは自転車で30分で行ける。妻の実家は大阪市内だから、これも時間はさしてかからない。帰省すべき田舎を持たないのが、私の人生だ。

 お盆の入りであった昨日、家族で五条坂の大谷さん、すなわち大谷本廟へお墓参りに行った。墓地には母方のお墓、無量寿堂、すなわちお墓のマンションには父方の菩提寺の佛壇付納骨所がある。
c0240245_15415917.jpg

 無量寿堂の喫煙所で一服しながら撮った風景。山科へ抜ける国道1号が真横を通っている。お盆の間は、お西(西本願寺)と京都駅からのシャトルバスがこの真下に着くようになっている。私はいつもタクシーで行くのだが、五条通は渋滞し、五条大橋を越えた辺りで降り、そこから歩くことが多い。
c0240245_1634784.jpg

 写真集『京都百年パノラマ館』にある、明治時代の五条坂の彩色写真。大谷さんの横から清水寺へ上がる道と思われるが、隔世の感がする。

 お盆、すなわち盂蘭盆の行事は、中国で作られた偽経である『佛説盂蘭盆経』に基づいている。中国の祖霊供養の習俗が反映されているのだが、「盂蘭盆」という語自体はサンスクリット語"ullambana"の音写である。「逆さ吊りにされた苦しみ」という語源を有し、亡くなったばかりの人間が宙をさ迷う苦しみを表すとされているが、釈迦の弟子であるモッガラーナ(目連)が、亡くなって餓鬼道に堕ちた母親に飲食物を施す(施餓鬼)というストーリーの『盂蘭盆経』にそのような表現はなく、後から無理にこじつけた解釈だと思う。

 宗教学の進展に伴い、"ullambana"は古代イラン語で「霊魂」を意味する"urvan"との関係性、すなわちゾロアスター教とのそれが提唱されている。迎え火や送り火の習俗から見ても、私はこの説の方が正しいと思っている。

 

by Abend5522 | 2012-08-14 16:37 | 佛教
2012年 04月 23日

佛教讃歌

 高校が佛教系の私学で、講堂で行われた行事では聖歌隊となる合唱部にいたこともあって、幾つかの佛教讃歌は今も歌える。

 

 授業のチャイムは、この「ウェストミンスターの鐘」ではなく、始業時がなぜか第9の所謂『喜びの歌』で、終業時が佛教讃歌『恩徳讃』であった。どちらも、チャイムでの演奏だった。



 これは、合唱による『恩徳讃』である。歌詞は、親鸞の『正像末浄土和讃』からのものだ。

 如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし

 師主知識の恩徳も  骨を砕きても謝すべし

 明治期になると廃佛毀釈が近代化を急ぐ日本を席巻し、既成教団は宗門の生き残りを賭けて様々な改革を行った。佛教讃歌もそのひとつで、キリスト教の賛美歌に倣い、西洋的な曲をつけて多くの佛教讃歌を作った。その先鋒に立ったのが浄土真宗で、音楽法要の形式を整えたのもこの宗派である。

 浄土真宗の伝統的な音楽としては、報恩講の時にだけ唱される『坂東曲』がある。お東(真宗大谷派)だけに伝わるもので、越後へ流罪となった親鸞が、荒波に揺れる船の中で念佛を唱えたことに由来しており、僧たちが上体を揺すりながら歌うのが特徴だ。



 伝統的な佛教音楽で最も有名なのは、真言宗・天台宗の声明だが、下に挙げる真言声明の『三宝和讃』などは、旋律が中央アジア風だが、西洋音楽のハーモニーがつけられている。開始30秒からどうぞ。



 伝統的な声明がそのまま歌われているものとしては、以下に挙げた天台声明『四智梵語』を聴いてもらえればと思う。




 

 

  

by Abend5522 | 2012-04-23 00:19 | 佛教
2012年 03月 13日

歎異抄 第十三条

 前半部が、有名な部分である。現代語訳してみる。

 またある時、親鸞聖人から「唯円房は私のいうことを信じるか」との仰せがありましたので、「信じます」と申し上げましたところ、「それなら、私の言うことにも背くまいな」と重ねての仰せがありましたので、謹んでお受け申し上げましたところ、「たとえば、人を千人殺してみろ。そうすれば、おまえは必ず浄土に往生できるぞ」との仰せでしたから、「仰せではございますが、一人といえども私の器量では殺せるとも思えません」と申し上げましたところ、「それでは、なぜこの親鸞が言うことに絶対背かないなどというのか」との仰せでした。さらに親鸞聖人は、「このことによって知るべきだ。何事も心に任せてするのであれば、私が往生のために千人殺せと言えば、すぐに殺すこともあるだろう。しかし、おまえには一人でさえも殺せる業縁がないから、殺さないのだ。自分の心が善良だから殺さないのではない。また、殺すまいと思っても、百人も千人も殺すことがあるのだ」と仰せられました。

 思想が宗教の形で表出された時代であるから、親鸞の言う「業縁」とは「状況」のことだ。置かれた状況が心のありようを決定し、行動へと繋がる。この時、心のどこかでしたくない、するまいと思っていても、してしまう。また、したい、しようと思っても、できない。これが、我々の日常の現実ではないか。「する」よりも「してしまう」、「しない」よりも「できない」ことが、生活の主調音になっている。「したいと思ったことは全部している」とか、「したくないと思ったことは絶対していない」という人がたまにいる。これは、「してしまった」ことを「したかった」ことと思い、「できなかった」ことを「したくなかった」ことにする、果に合わせて因を塗り替える顚倒した思考である。

 こういう思考は、「心」を拠り所にしていて、その心が状況によって形成されたものであることを知らない。状況には、社会的状況と時代的状況が一体化してあり、これが異なれば認識も違って来る。虹の色が何色に見えるかも異なり、鶏鳴の聞こえ方も違って来る。そして、音楽の聴こえ方もである。

 

 

  

by Abend5522 | 2012-03-13 00:49 | 佛教
2012年 02月 28日

シヴァ神の運命

c0240245_224846.jpg

 学部2回生の時、佛教学概論の授業に教授がシヴァ像を持って来た。
 教卓の真前に座っていた私は、瞬時に引き込まれた。心に音楽が響いたからだ。リズミックで力強い太鼓連打が、それだった。その時の像は大きかったが、画像のものは高さ10cm弱の像である。それでも、太鼓連打が今も心に響く。

 シヴァは風雷神ルドラを起源とする神で、ブラフマが創造し、ヴィシュヌが保持した宇宙を破壊し、新たな生命を育む役割を担う。炎輪の中で踊る力で全てをゼロに戻すが故に畏怖され、マハーカーラ(大暗黒)とも称される。すなわち、これ大暗黒天(大黒様)として佛教に取り入れられるのである。

 漢訳経典では、大自在天と呼ばれている。佛に従わせるのは大変だったようで、大日如来の命を承った降三世明王によって漸く調伏された。降三世明王像は二体を踏みつけた姿で造られているが、この二体がシヴァとその妻ウマーである。シヴァはそれでも佛に従わずに死んでしまい、冥界で佛の説法を受けて蘇生し、天部の一員たる大自在天として佛の守護者になったとされる。

 佛教がバラモン教の神々を取り込んで行く過程は面白いが、極めて複雑でもある。

 

 
 

by Abend5522 | 2012-02-28 23:07 | 佛教
2012年 02月 24日

散華楽

c0240245_22504528.jpg

 奉請十方如来入道場散華楽
 奉請釋迦如来入道場散華楽
 奉請彌陀如来入道場散華楽
 奉請観音勢至諸大菩薩入道場散華楽

 「四奉請」といって、法会で諸佛諸菩薩を招くために唱える。浄土真宗などでは、彌陀如来・釋迦如来・十方如来の順で、「三奉請」となる。

 「四奉請」を唱えながら、浄めのために華を撒くのが「散華楽」である。現在では、画像にあるような葩(は。色紙のこと)を撒くのが普通で、蓮弁の形になっている。絵は様々だが、画像の下二枚には、笙や大太鼓といった雅楽器が描かれているのが面白い。大寺の落慶法要などでは派手に撒かれるので、散華コレクターもいるようだ。

 数珠は、もう20年以上使っている。白檀の数珠玉に紫の梵天房で、真言宗の男性用のものである。清水さんへの参道にある念珠店で買ったものだ。流石は白檀で、今も仄かに匂う。

 小さい頃、お地蔵さん(地蔵盆)では子供だけで数珠回しをした。大数珠を皆で回す行事である。子供の数が減少した今では、私の住む町内でも数珠回しはもう行われていない。

 久遠の昔、インドに二人の慈悲深い王がいた。一人は、成佛して衆生を救おうと修行し、悟りを得て一切智成就如来となった。もう一人は、成佛出来るだけの素質を持ちながら、自らの意志で冥界へと向かい、苦悩に彷徨する魂の保護を業とした。これが、クシティ・ガルバ(地蔵菩薩)である。特に、親より先に死んでしまった子供の、冥界での保護者として人々の尊崇を集め、現在に至っている。

by Abend5522 | 2012-02-24 00:06 | 佛教