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Abendの憂我な部屋

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2012年 12月 01日

諸行無常の風景


 代休ゆえ、BBGオーディオと堀川五条のブックオフへ行った。その間に撮った三枚。
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 それにまつわる話は知られているものの、羅城門が存在したのは、平安遷都後200年足らずである。この、石碑だけがある小さな児童公園に、幅約30m、高さ約20mの大門が在ったことを、どうして想像できようか。ここより少し西にある、13世紀に失われた西寺の址もまた然り。以降、九条通の主役は東寺が占めている。

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 東寺の横道を上がると、清和源氏発祥の地に六孫王神社があり、その隣に兒水(ちごすい)不動の小さな祠があって、今も水が湧いている。郊外にあるのではない。後ろに見えるコンクリート壁は、東海道線の高架である。
 高架ならば、真っ直ぐ行けば抜けられるかといえば、そうではない。薄暗いその下には線路が通っているからだ。以前は梅小路駅といった、京都貨物駅への貨物専用線路である。

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 壁沿いに少し東へ行くと抜けることができる。そして、梅小路公園の大宮通側ゲートに出る。
 京都水族館。最近の京都で最大の椿事がこれだ。人工海水を使い、ペンギンもいればイルカショーもある。その一方で、オオサンショウウオがいて、田植え体験ゾーンなどもある。家族は年間のフリーパスを買って既に行ったが、私はまだだ。
 梅小路公園は、国鉄時代の機関区。動態保存された幾つもの蒸気機関車があるので、鉄道ファンの聖地のようになっている。旧二条駅もここに移築保存されている。蒸気機関車やチンチン電車も公園内を走っている。また、2年後に開業予定の京都鉄道博物館建設の工事も既に始まっているが、それでもまだまだこの公園は広い。息子が小さい頃には、ここで行なわれた木下大サーカスを観に行ったものだ。
 梅小路公園にはもっと重大な歴史がある。戦争末期、ここが原爆投下目標にされたことだ。
 戦争中、京都は西陣や東山の馬町が空襲を受け、かなりの死傷者が出たのだが、米軍は京都への爆撃を禁止していた。これは、後に米軍が京都の文化財を破壊したくなかったからという麗しい誤解を生んだが、例えばドイツへの容赦なき爆撃ひとつ取ってみても、そのような理由ではなかったことは明白なのだが。
 米軍は、原爆の実際の効果を確かめられる最適の目標に京都を選んだ。その理由は、主に三点ある。
 1 盆地の京都に投下すれば、爆風が拡散せずに効果が確かめられる。
 2 梅小路周辺には、戦禍を逃れて京都へ移って来たものも含め、軍需産業が集中している。
 3 知的水準の高い大学などが多く、原爆の威力を見せることによって日本政府に降伏を説かせることができる。
 京都を、原爆の実験に使おうという怖しい計画だが、これを止めたのは、スチムソン陸軍長官を主とする文官グループといわれている。京都に原爆を投下すれば却って日本国民の恨みを買い、既に計画されていた戦後の日本統治に支障をきたすからだという。大統領のトルーマンはこの進言を受け、京都を原爆投下の最高目標から外した。しかし、広島と長崎に原爆の惨禍をもたらした米軍は、それでも日本が降伏しない場合、京都への投下を実行するつもりだったらしい。
 梅小路にもし原爆が投下されていたら、私は生まれていなかっただろう。

by Abend5522 | 2012-12-01 02:04 | 京都


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