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Abendの憂我な部屋

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2012年 11月 14日

"Die Letste am Schafott"  その 題名に関する素人の思いつき


 sawyer様のご教示によって、プーランクの歌劇『カルメル派修道女の対話』を知った。全曲を視聴したことはないが、衝撃的なラストシーンは強烈な印象をもたらす。

http://homepage3.nifty.com/classic-air/database/poulenc/dialogues_des_carmelites_exp.html
 上記URLの資料は、元々原作小説を映画化するために作られた脚本が、如何なる経緯で歌劇の台本となって行くかを教えてくれているが、これを読んでひとつの疑問が湧いた。
 作品の原題は"Dialogues des carmelites"だが、"Dialogues"がなぜ「対話」という訳になるのだろう。原作小説が、刑死しなかったマリーとの対話が綴られた手紙という形を取っているからなのか。それとも、修道女の間での対話や会話がストーリーの核心となっているからなのか。どうも、そうとは思えない。
 上記の資料を見ると、映画化の予定だった題名は『騎士』で、歌劇の台本作者であるベルナノスは台詞の部分を担当したとある。それをプーランクが歌劇にしたわけだが、別に調べて見ると、既に映画化されていたものを歌劇にしたのではなく、歌劇でのストーリーが後に映画化されている。歌劇の初演から3年後の1960年に上映された、ジャンヌ・モロー主演の映画がそれである。
 このような経緯から考えてみると、"Dialogues des carmelites"という題名は、ベルナノスが書いたのが「台詞」だったことに因るのではないだろうか。ネットにある仏和辞書で"Dialogues"を調べてみると「台詞」という意味があったので、"Dialogues des carmelites"は『「カルメル派修道女」という台詞』とでも訳すのが正しいのではないだろうか。

\"Die Letste am Schafott\"  その 題名に関する素人の思いつき_c0240245_20522972.jpg

 原作であるゲルトルート・フォン・ル・フォールの小説"Die Letzte am Schafott"。レクラム文庫に入っているので、入手しやすいと思う。
 "Die Letzte am Schafott"の邦題は『断頭台の最後の女』となっているが、これについても素人の思いつきで語ってみたい。
 "Gillotine"を日本では「ギロチン」というが、これはドイツ語読みである。しかし、原題には"Schafott"という言葉が使われている。調べてみると、"Schafott"にも「断頭台」、そして「処刑台」という意味があったので、なぜ"Gillotine"ではなく"Schafott"が用いられたのかはわからない。"Die Letzte am Schafott"が発表されたのは、ヴァイマール共和国時代末期の1931年で、この時代のドイツではギロチンが使用されていたようだから、男爵の娘であった作者には何らかの慮りがあったのだろうか。
"Die Letzte"は、英語の"The Last"と同じで、「一番最後の」という意味である。従って、"Die Letzte am Schafott"を逐語訳すると『断頭台に一番最後のが』となり、刑死するのが修道女たちだから、邦題には「女」を加えたのだろう。それはいいのだが、「一番最後のが」が気になる。
 sawyer様が挙げて下さった台本の対訳を一読し、自分でも少し調べたのだが、架空の主人公であるブランシュは、母親が乗った馬車が暴徒に襲われた直後に生まれ、母は産後すぐに死んでしまった。そのために、ブランシュは恐怖心が異様に強く、神経質な性格になってしまったという。そして、世間ではまともに生きて行けないと思いつめた彼女は、カルメル会に入信する。無論、そこには民衆によって脅かされつつある、貴族の娘という自らの身分への思いもあっただろうが、本質的には臆病な一人の娘の現実逃避だったと思う。しかし、逃避先であったカルメル会では、恐怖に苦しんで死んだ修道院長を眼のあたりにし、修道女の合意となってしまった殉教に恐怖して逃げ出したブランシュは、いわば「最も殉教したくない女」あるいは「最も殉教するはずのない女」だったのではないか。
  "Die Letzte"の用法としてあるのかはわからないのだが、「一番最後のが」には、「一番そうしたくないのがそうした」、「一番そうするはずのないのがそうした」という意味が隠されているのではないだろうか。どう見ても殉教するとは思えず、そもそも死刑を宣告をされていないブランシュは、自分の意志で最後に断頭台に上がった。ゆえに、彼女は刑死ではないのだが、キリスト教における殉教がイエスの死を追体験することにあるのならば、それは刑死の形を取らねばならないだろう。では、刑死すなわち殉教ではなかったブランシュの死とは何だったのかといえば、私は「仲間への殉死」であったと思う。
 殉教した最後の修道女は、コンスタンスである。彼女の最期の声は、「サルヴェ・レジーナ」の歌詞の最後にある"O dulcis Virgo Maria."(おお、甘美なる処女マリアよ)の"Ma"で終わっている。しかし、ブランシュは「サルヴェ・レジーナ」を歌い継がなかった。彼女が歌い始めたのは、マーラーも交響曲第8番で用いたヒムヌス(讃歌)の"Veni creator spiritus"(来たれ、創造主たる聖霊よ)の最後の連である。"Deo Patri sit gloria"(父なる主に栄光あれ)で始まり、最終句の"In saeculorum saecula"(永遠に)を反復する"In saeculorum"のところで、ブランシュの声は途絶えた。
 ブランシュが、なぜ「サルヴェ・レジーナ」を歌い継がず、"Veni  creator spiritus"の最後の連を歌って死んで行ったのかはわからない。ただ、彼女が刑場で殉教の歌となった「サルヴェ・レジーナ」を歌い継がなったのは、彼女が最期まで殉教したくない、殉教するはずのない女であったとだけは言えそうである。

 とりとめなく、素人の思いつきで書いてしまった。
 
  

by Abend5522 | 2012-11-14 00:33 | クラシック音楽


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