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2012年 11月 01日

マリア観音とマーヤー


 プッチーニの『トスカ』に関し、sawyer様、HABABI様、そして私との間で意見交換をするうちに、マリア信仰に話題が及んだ。ご両兄が開陳されるご見解に触発され、私は佛教の面から思うところを書いてみたくなった。

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 キリスト教が禁制となった江戸期に、隠れキリシタンたちは画像のようなマリア観音を密かに信仰していた。
 マリア観音という像があるのではない。これは悲母観音像である。慈母観音、子安観音という別称を持つ。

 観音すなわち観音菩薩は、サンスクリット語でアヴァローキテーシュヴァラという。観自在菩薩とも漢訳される。そう、『般若心経』の冒頭に「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時・・・」とある菩薩である。
 アヴァローキテーシュヴァラは、三十三種の姿に化身する。しかし、その中に悲母観音は見当たらない。それもそのはずで、悲母観音は明朝の中国おいて、イエズス会の宣教師マテオ・リッチが造らせたものだからである。リッチにとって中国での宣教は宿願であり、彼は中国の宗教文化にキリスト教を融和させる平和的手法を取った。その甲斐あって、リッチは明朝で利瑪竇という中国名を与えられて重用され、中国でその生涯を終えた。
 悲母観音像は、そのような彼がマリアを菩薩像の形で表現したものであって、これが我が国にもたらされたわけだが、一方でそれは隠れキリシタンにとってのマリア観音となり、また一方では幕末から明治期に活躍した狩野 芳崖の有名な絵画となるなどして、現在も観音信仰のひとつとなっているのである。

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 釈迦の生母はマーヤー(摩耶)である。マーヤーは古代インド哲学では「神秘的な力」、「幻影」を意味するが、彼女の場合はマーター(母)に由来するという説が、近年では有力である。従って、マーヤーというのは名前ではない。

 釈迦の誕生伝説は、マーヤーが6本の牙を持つ白象が胎内に入る夢を見て釈迦を懐妊し、出産のために実家へ帰る途中にルンビニ村の園で産気づき、画像にあるように右脇から釈迦を産んだとしている。これは佛教独自の伝説ではなく、カースト制度を補完するヴェーダにおいて、第二身分たるクシャトリアは脇から生まれるとされているからである。釈迦の父であるスッドーダナ王(浄飯王)は、現在のネパールに在って米作を行っていた、クシャトリア階級の部族たるシャーキャ(釈迦)族の長であった。王とその兄弟の名には「ダナ」(飯)が用いられており、モンゴロイド系の農耕部族であったことが知られている。

 マーヤーは、釈迦を産んで7日目に死亡し、トラーヤストリンシャ(忉利天)に転生したとされる。トラーヤストリンシャはインドラ(帝釈天)を主とし、四方の各々に八天がいる、計三十三天から成る楽園である。悟りを開いた釈迦が忉利天へ行ってマーヤーに説法しという伝説があり、また、『摩訶摩耶経(大術経)』には釈迦の涅槃を悲しんだマーヤーが忉利天から降り下り、釈迦はそれに応えて自ら金色の棺を開き、マーヤーに説法したとある。

 釈迦の育ての母は、伯母のマハープラジャーパティー(摩訶波闍波提)である。彼女はマーヤーの妹だが、当時は姉妹を共に娶る習慣があったことから、彼女もスッドーダナの妻であったという説があり、更には、彼女が釈迦の生母という説もあるからややこしい。なお、 マハープラジャーパティーは後に出家して釈迦の教団に入り、初の尼僧グループを作ったとされている。
 
 出家前の釈迦には複数の妻がいたとされているが、普通にはヤショーダラー(耶輸陀羅)のみが知られている。彼女も後に、釈迦との間に生まれた息子のラーフラ(羅睺羅)とともに出家し、佛弟子となる。そして、息子のラーフラは、後に釈迦の十大弟子の一人に数えられることとなる。

 マーヤー、マハープラジャーパティー、ヤショーダラーという釈迦をめぐる三人の女性のうち、崇敬の念を持たれているのはマーヤーである。無論、マリア信仰のように広範で濃密なものではない。伝説化されてはいるが、あくまでも釈迦の生母にして弟子であるという位置づけであり、釈迦が後代に法身佛(真理そのものである佛)たる釈迦如来となって行くこととは比例していない。これは、佛教が釈迦という人間よりも、彼が悟った法に重点を置くからであろう。

 佛教における地母神的性格を持つ諸尊については、後日に述べたいと思う。
 
 

by Abend5522 | 2012-11-01 23:54 | 佛教


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