2012年 09月 17日
『キネマ旬報』1958年3月上旬号。東京の古書店にあるのをネットで見つけ、数百円で買ったものだ。 なぜこれを入手したのかといえば、表紙にあるように「松竹撮影所の研究」という特集が組まれており、そこに下の画像のとおり「装置の仕事今昔」と題した一文を、当時松竹京都撮影所の装置課長であった大野松治が寄稿しているからである。 大野松治は、私の大叔父である。父方の祖父の義弟なので、私と同姓ではない。20年近く前に高齢で亡くなったが、映画界を退いてからは現在の京都コンサートホール近くの下鴨の地で、煙草屋兼日用品店を夫婦で営んでいた。同居していた祖父は、煙草などを常に大叔父の店から買っていて、大叔父は自転車でそれを届けに来ていた。私をよく可愛がってくれた、優しい人であった。 松竹京都撮影所には、太秦撮影所と下鴨宮崎町の下加茂撮影所があった。大叔父が装置課長をやっていたのは、1952年に中枢部が下加茂から太秦に移ってからの時期になる。下加茂撮影所は私の遊び場でもあったが、後に閉鎖された。太秦撮影所の方は、現在も松竹撮影所として続いている。 大野松治が関わった映画作品で、私が把握しているのは次のものである。 『少年戦線』(1930年。マキノ御室。三上良二監督。白黒無声) 『お夏清十郎』(1936年。松竹下加茂。犬塚稔監督。白黒) *この作品で初めてテロップされる。 『女の宿』(1941年。松竹下加茂。犬塚稔監督。白黒) 『元禄忠臣蔵 前編・後編』(1941年、42年。興亜映画=松竹京都。溝口健二監督。白黒) 『激怒』(1947年。松竹。小坂哲人監督。白黒) 『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(1975年。新藤兼人監督。近代映画協会。ATG配給。カラー) これらのうち、『元禄忠臣蔵』と『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』はTVから録画したものを持っている。 『元禄忠臣蔵』のテロップ画面。この映画は、戦中の作品であるにもかかわらずセットが豪華なことで有名だ。指揮が当時まだ30歳足らずだった山田和男(一雄)であることや、この画面にはないが、新藤兼人が建築監督を務めているのも特徴である。 『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』で、新藤兼人からインタビューを受けている大野松治。場所は店の前だ。『元禄忠臣蔵』で、新藤兼人とともに溝口健二の下で仕事をした大叔父にとっては、感慨も一塩であっただろう。 このドキュメンタリーが制作された1975年に、松竹下加茂撮影所は閉鎖された。
by Abend5522
| 2012-09-17 18:06
| オーディオ・映像・機材
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