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Abendの憂我な部屋

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2012年 04月 01日

☆ 私の愛聴盤 ベートーヴェン / 交響曲第1番

 sawyer様のご提案に賛同し、ベートーヴェンの交響曲の愛聴盤を順に挙げて行くこととなった。
 まずは、第1番。

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 学生時代、西洋哲学科の講読を受講していた。ロックの"An Essay concerning Human Understanding(人間知性論)"の一部であったが、その中で、生得観念の特徴の一つである"clear and distinct(明晰判明)"という言葉が強く印象に残った。デカルトの哲学では真理の条件とされる概念だが、両者の思想上の違いはさておき、明晰にして他と区別されるというこの言葉は、音楽の演奏においても使うことができるものである。

 マリナー / ASMFによるべト1は、私がこの曲を好きになるきっかけとなった演奏である。FM放送をカセットに録音して聴いたのが最初だった。もう40年以上前のことだ。初めて聴いた演奏が、その後もずっと愛聴するものとなるケースは、私の場合は少ない。そんな数少ない、長~~いお付き合いの演奏である。

 マリナーは、速度や強弱においては何もしない。ASMFという、高度に訓練されたオケで各声部を明晰に鳴らす。大オーケストラを必要としないこの曲では、それが非常によく聴取できる。CDはハイブリッドのSACD盤だが、SACDプレーヤーは持っていない。マランツのCD-34で再生した。

 マリナーは、N響への度々の客演で日本の愛好者には広く知られている。映画『アマデウス』でも演奏が使われている。録音の数も非常に多い。しかし、マリナーといえばモーツァルトか本国イギリスの作曲家の諸作品ぐらいしか評価されていないのが、日本での現状ではないだろうか。シェーンベルクの『浄夜』など、私は最高の演奏と思っているのだが、取り上げられさえもしないお寒い現実がある。

 兼好法師の「月は隈なきをのみ見るものかは」(徒然草)や、谷崎の『陰翳礼賛』など、日本人の感性には翳のある物事を好む傾向があるのだが、これを明晰判明さへのアンチテーゼとして位置づけるのは誤りである。なぜならば、陰翳は明暗という、各々明晰判明な状態がないと成立しないからだ。光と闇が、各々を壊することなく統一された状態、それが陰翳であり、隈ある月である。

 べト1に限らず、世に知られた曲には、既に陰翳が楽譜によって指示されている。演奏という表現活動は、いうなれば、月を見るか、月を指している指を見るかでその価値が決まるといっていいだろう。そして、月を見る優れた指揮者にとっての月が、満月か、半月か、三日月かによって演奏が異なって来るのである。

 マリナーのべト1は満月だ。満月であるから、月そのものに翳りはない。しかし、同時に、満月ゆえに月影は広範囲に亙ってできる。古人が、月影を月光の意味としたことがよくわかる。明晰であるがゆえに、他との違いが判明する。これが、いわゆる個性的な指揮者との相違だである。優劣の問題ではない。ベートーヴェンが、この曲でそういう月を指差したのかはわからないし、わかる必要性もあるまい。作曲者自身も、作品が世に出るや相対化されるからである。

 マリナーのべト1は、今後も私の愛聴盤でありつづけるだろう。

by Abend5522 | 2012-04-01 01:49 | クラシック音楽


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