2012年 10月 20日
sawyer様、HABABI様がそれぞれプッチーニの『トスカ』を観劇なされ、ブログにご感想を載せておられる。私も、初めて観た歌劇が『トスカ』であった。 ご両兄のご感想を拝読し、この作品についてsawyer様と意見を交換させていただくうちに、第一幕の最後にある「テ・デウム」におけるスカルピアと、ヴェルディの『オテロ』第二幕の始めに置かれた「クレド」におけるイァーゴを比較してみたいと思うようになった。前者が後者に影響を受けていたことは推察できるが、ここではスカルピアとイァーゴという"悪人"のキャラクターを中心に、思うところを述べてみたい。 映像については、私がその美声と演技力を愛してやまないシェリル・ミルンズが両方とも演じているものがYouTubeにあったので、それを使いたい。「テ・デウム」は映画版、「クレド」はメトの公演のものである。 ★プッチーニ/歌劇『トスカ』より「テ・デウム」 (スカルピアが歌う箇所の歌詞 "va,Tosca!"以降) 行け、トスカよ!おまえの心にスカルピアは潜んでいるぞ!… そしてスカルピアは解き放つ 嫉妬という猛禽の翼をな。 おまえの疑惑の中に、どれほど鍵が隠されていることか! 一石二鳥を 私は狙う。だが逆賊の頭領は 価値では劣るな。ああ、あの勝気な瞳に 宿る炎が 愛にもだえてしおれていくのを 私の腕の中で見ることに比べたら… ひとつは絞首台、 もう一方は我が腕の中へ… トスカ、お前は私に神をも忘れさせる! 御身、永遠の父よ 全地は御身を拝みまつる! http://www31.atwiki.jp/oper/pages/64.html ★ヴェルディ/歌劇『オテロ』より「クレド」 下記のものの方がいいのだが、共有禁止になっているため、URLを挙げておきたい。 http://www.youtube.com/watch?v=pesXB2rtMBw (歌詞) 行け! お前の目的はもう分っている。 お前の本性の悪魔がお前を駆り立てる、そしてその悪魔こそ、この俺だ。 そしてその俺をひきずるのが、俺の悪魔だ。 その中に容赦のない無慈悲な神を俺は信じる。 俺は信じる、彼自身の姿に似せて俺を創った残忍な神を信じる。俺は怒った時この神を呼ぶ。 俺は劣等な胚種からか、さもなければ悪質な原子から生まれたのだ。 俺は極悪非道だ。何故なら人間であるが故に、そして俺は、自分の中に生まれながらの卑劣なものを感じるのだ。 そうだ!これが俺の信条だ! 俺は堅固な心で信じる、ちょうど教会におまいりする若後家が信じるように、俺が考える悪、そして俺から生まれ出る悪を、俺の運命として成就するのだ。 俺は信じる、正直者は嘲弄すべき道化役者であると、顔にあらわれるものも、心の中も、彼の中にあるすべてのものが虚偽だ、涙、くちづけ、まなざし、犠牲と名誉、すべてこれ虚偽。 そして俺は信じる、人間とは揺籃の芽生えから墓場のうじ虫に至るまで、邪悪な運命のたわむれにすぎぬと。 散々笑い者にした挙句に、死神がやってくる。 そしてそれから? そしてそれから? 死は即ち無だ、天国などは古臭い馬鹿話さ。 (カラヤン/VPO盤の鈴木松子訳による) スカルピアは警視総監。脱獄した共和主義者の頭領であるアンジェロッティを逮捕して処刑台へ送ることと、トスカを自分のものにする、色と欲の「一石二鳥」が彼の狙いなのだが、「私は狙う。だが逆賊の頭領は 価値では劣るな。」とあるように、真のターゲットはトスカである。 イァーゴはオテロに仕える旗手。オテロが「誠実なイァーゴ」(第一幕)と呼ぶほど信頼されている。しかし、彼は自分がムーア人であるオテロの配下で、しかも旗手という低い位に置かれ、またオテロが自分を差し置いてカッシオを副官にしたこと、そして高貴な生まれであるデズデーモナを最愛の妻にした歴戦の名将軍であることから、人種差別と嫉妬心からオテロへの憎悪の権化となった人物である。 スカルピアは、トスカが「持っている」猜疑心を利用する。イァーゴは、オテロに猜疑心を「作り出す」。 トスカは、カヴァラドッシが名も知らぬままに教会へよく来る女性をモデルに描いているマグダラのマリア像を見て、それがアンジェロッティの妹であるアッタヴァンティ侯爵夫人に似ていると猜疑心を募らせる。そして、それを利用したスカルピアの罠に乗せられて、追跡されているとも知らずにアンジェロッティをかくまっているカヴァラドッシのもとへ走る。スカルピアの"va,Tosca!"は、カヴァラドッシを通してアンジェロッティの居場所へと導いてくれるトスカに向けられたものだが、それ以上に、カヴァラドッシも捕えて葬り去り、トスカを自分のものにできる望みの方が強いと見るのが自然だろう。 イァーゴが「クレド」を歌うのは、自分が仕向けて酒に酔わせ、その果てに剣を抜いて暴れてオテロの怒りを買い、副官の地位を剥奪されて落ち込んでいるカッシオとのシーンの後である。イァーゴは、デズデーモナに頼んでオテロにとりなして貰えばいいと助言してやり、カッシオはそれに感謝してデズデーモナのところへ向かう。それを見たイァーゴは"vanne"と呟く。"Vanne"もスカルピアの"va"と同じく「行け」と訳されているが、調べてみると"va"は敬語らしく、「お行きなさい」と訳すのが正しいようだ。一方、"vanne"は「他所へ行け」という意味で、「あの世へ往け」、「破滅へと向かえ」という用法もあるそうだ。 「テ・デウム」は、マレンゴの戦いでナポレオン軍が敗れたという誤報を信じ、勝利を神に感謝するために歌われるのだが、それまでの流れからすると唐突さしか感じない。共和主義者の頭領たるアンジェロッティからして影が薄く、『トスカ』にはマレンゴの戦いを核とした国際紛争が背景にあるとは思えず、また思う必要すらないだろう。 『トスカ』の初演は、マレンゴの戦いからちょうど100年目の1900年だが、当時のイタリアあるいはフランスの観衆でさえ、特に意識もしなかったのではないだろうか。当時の評論家、そしてマーラーやR.シュトラウスなどが酷評したこの歌劇を、一般観衆は刺激的で、わかりやすい作品として享受したに違いないと思う。そう、わかりやすいのだ、『トスカ』は。表立った登場人物は全員死んでしまう悲劇なのだが、どのキャラクターも非常にわかりやすい。スカルピアも然り。『水戸黄門』などに登場する色と欲の悪代官が、横恋慕した女に殺されてしまうのだと見ても、特に支障があるとは思えない。 葬儀でジョン・レノンの『イマジン』を歌うことが、イギリスの一部の葬儀場で禁止されたという報道があった。「天国は無いと想像してみなさい」という歌詞が問題なのだという。これに似たこととしてはは、嘗てシモーヌ・ヴェイユが「神は存在しないものとして祈る」と言い、聖書学者の田川健三は礼拝の時に「神は存在しない」と言って、国際基督教大学教官の地位から追放された事件などがある。 「残忍な神」を信じ、「死は即ち無だ、天国などは古臭い馬鹿話さ。」と歌って高笑いするイァーゴ。「アヴェ・マリア」を歌った直後に、夫オテロの手にかけられた敬虔なデズデーモナの死も、彼の策略に入っていたことなのかはわからない。しかし、もしそうだったとしても、ヴェルディが一時は作品名を『イァーゴ』にしたいと考えたほどの強烈なキャラクターを有する『オテロ』が、教会から非難されたとか、上演禁止になったことがあるといったことを、私は知らない。王侯貴族を間接的に非難した『リゴレット』や『仮面舞踏会』は厳しい検閲を受けたが、その時期に『オテロ』が作られていたら、ヴェルディは激しい非難を受けたかも知れない。 スカルピアは、自分が精神的に追い詰めたトスカによって殺された。カヴァラドッシを策略で処刑し、アンジェロッティも自殺したが、トスカへの思いは遂げられなかったのだ。 イァーゴは、妻のエミリアらによって策略が暴露され、逃走した。イァーゴはそれから捕まったのか、逃げ果せたのかは描かれない。芥川の『羅生門』の最後に書かれた、「下人の行方は誰も知らない」になったのかも知れない。しかし、オテロの破滅という彼の目標は達成されたのである。
by Abend5522
| 2012-10-20 01:51
| クラシック音楽
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